★一番最初のお母さんとの記憶。 | 40歳からインテリアブランド始めました★瑞希

40歳からインテリアブランド始めました★瑞希

華アーティスト
インテリアコーディネーター

スパイスアップリビング
というインテリアブランドにて
自分で創った生花アート作品を撮影し
アートパネルやインテリア雑貨にして販売しています


一番最初の
お母さんとの記憶って
ありますか?



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私はなんとなーくだけど
多分3歳くらいなの



その当時
平屋の借家に住んでて
そこそこ広いお庭と駐車場があった


そこに
スヌーピーの黄色の
洗濯物入れがあったんだけど

それを見ながら

涙目で


いつか出てってやる


と思っていた



家出したいとよく思ってて

書き置きをして
歩いて近くの駅から
路面電車に乗って

で、何処まで行ったらいいんだろう

そっからどうしたらいいのか
分からなくて

創造が止まって
決行できなかった


お金は小銭を貯めてたから
あったのね

食べ物を買おうとか
そんな頭はなかったなあ



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そんなことを
思い出したのは

心屋仁之助さんとの
初めてのカウンセリングの時だった


会社に認めて貰えなくて
苦しいって相談に来たのに

思い出したのは

絶対家を出てやる

と泣きながら思ってたことだった

リボン詳しくは
天職までの道のりにかいてます


その話をして
仁さんに言われたのは


そんなに小さな頃から
思ってたのなら
それは前世からかもしれないね


って言葉だった



あと、その時に
気付いたのは


母親に反対されることで
障害を乗り越える喜びというか
達成感を持ってること


だった



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ただ、物心つく頃から

何て気難しい人なんだろうと
思ってたし

どんな事だったかは
忘れたけど

理不尽だなと思う事が多々あった


だから
家出したいに繋がるんだけどね



その頃のうちの家庭は

母親がピアノ教室をやって
主な経済を支えていて

父親はエンジニアを脱サラして
再受験し、大学生という

なかなか今でも見ない
家庭環境でした


でも、小さかったから

そんなに裕福でなくても
分からなかったし

それよりも、庭があって
自然もあって
近所付き合いも友達もいて

私の中では
その家にいた頃が
一番幸せな記憶でした



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自分の中での洗い出しも兼ねて
書いてます

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