ふっこです。
少し前に書いたこの記事。
思考が優位になっている
人にありがちだと思うのですが、
こういう人たちって
(以前の私も含めて)
手を必死に握りしめている
イメージがあります。
手を握りしめている時って
何かをガマンして耐えているとき
というイメージで、
今は沢山の人が
ずっと手を握りしめていて、
いつしかそれが
当たり前になりすぎて
握りしめていることすら
忘れてしまっている、
そんな気がします。
(私もそうでしたがw)
自分さえガマンすればいい、
自分さえ耐えればなんとかなる。
そんな風に、
「一人で」
耐えて耐えて耐えて、
だけど本当は
それをやめたくて、
一人でなんとかしきれなくて
周りにその握りしめた手を
差し伸べるんだけど、
それだと誰とも
手は繋げなくて。
周りに対しても
不信感を抱いて、
更に孤独を感じて
更に強く握りしめる。。
少なくとも私はそうでした。
仲良くしたいのに
上手くできなくて
優しくしたいのに
空回りして
つながりたいのに
信じられなくて
いつも一人頭の中で
悩み、傷つき、落ち込み、
そのうちに
どうすればいいかすら
わからなくなって、
答えを必死に
探す旅に出てしまって。
ただ、握りしめていた手を
開けば良かっただけなのに
それをさせてくれない
意地とかプライドとかが
年齢を重ねるたびに
大きくなっていって、
手を開く代わりに
「握りしめてなんかいない」
と虚勢を張って生きてみたり、
またはそうなってしまった答えを
必死に探す旅に明け暮れて、
いつまでもその手は
握りしめたまま。
だから、何も変わらない。
ずっと耐えているまま。
手を開くことは
「ゆるむ」ということ。
リラックスして
くつろいで
慌てず安心して
ゆったりと呼吸をして
目の前を楽しむこと。
何かに耐える必要なんてなくて、
何かをガマンする必要もなくて
「そうしなくてはいけない」
「そうすることが当たり前」
という無言の圧力から
自分を解放してあげること。
あなたもまだ、
握りしめてはいないかしら?
開いた手を差し出したら
繋いでくれる存在は
いるかしら?
そしたらきっと、
心底ホッとできるね♡
ふく~るには
そんな相手が
沢山いますよ♡
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