中国の南通市から〜、こんにちわ。

ちょっと気温が低くなって32度。まだ蒸し暑い〜。

 

 

この映画、上のポスターを見て、けっこう期待していたのですが、ちょっと違った。

 

主演は正統派イケメンの郭富城(アーロン・クオック)だし、純愛ラブストーリーなのはよかったのだけれど、ハッピーエンドかと思ったら、悲恋ものだった。・・・。

 

それに、イケメンの郭富城(アーロン・クオック)が、ダメンズ〜〜。笑。それも、シリアスなダメンズ。

(ダメンズというのは、「駄目」と「メンズ」を組み合わせた言葉で、恋愛や結婚対象には向かない駄目な男って意味。)

この間見た『寒戦2』では、厳格な警官の役やってた人とは別人だった。

その演技力にはびっくりしたけれど。

 

『寒戦2』の警官から・・・

  

 

『天亮之前』のギャンブル好きへ(中央の男性)

 

 

 

あらすじ

高野(郭富城、アーロン・クオック)は、ギャンブルにはまり借金まみれ。返済のあてなどなくて困っている所へ、娼婦の茉茉(杨子姗、ヤン・ツーシャン)がやってきた。

「俺は呼んでない」と追い返そうとするのだが、茉茉のバッグに金が入っているのを見ると高野は、一緒にカジノに行かないか。その金を何倍にもしてやる と誘うのだ。

 

カジノで金持ちになれるんなら、こんな貧乏アパートにいるわけないんだから騙されちゃ駄目だよ〜と思うのだけれど、茉茉は「それなら賭けてみようかな」と一緒に出かけてしまう。そこからが、2人の一夜だけの物語の始まりである。

 

もちろん、高野は茉茉の金をすべてすってしまう。

しかも、茉茉の仲間の娼婦たちからも金を騙し取ったので茉茉は怒るが、その時に因縁をつけてきた・马修(安志杰 、アン・ジージエ)とカーレースをして勝ったら、大金の入ったアタッシュケースをやると挑発される。

高野は目隠しをされ、助手席の茉茉の指示で運転することになる。そんなムチャなと思うのだけれど、马修は途中で人をひき殺してしまい。高野の勝ちとなる。

 

大金を手に入れた高野は、昔自分が住んでいた屋敷へ茉茉を連れてくる。

そこで、彼は自分の身の上話をする。実は大富豪の家に生まれたが、相続した財産全てをギャンブルでなくしたこと。妻は病気で死に、子供とは別に暮らしているんだと。

茉茉もまた、娼婦になったいきさつを話し、本当は女優が夢なんだと話す。

 

茉茉は高野に、別れて暮らしている娘(11歳)に会いに行こうと促す。

娘は最初、高野を拒絶していたが、最後には気持ちが通じて、3人で食事に出かけた。しかし、そこで娘はヤクザに誘拐されてしまったのだ。

 

ヤクザは、高野に借金を返せ。返せないなら、娘を借金のカタにもらうぞと脅す。

それだけはダメだと、高野はアタッシュケースの金を差し出すのだが、やくざはさらに因縁をつけ、「カーレースして人をひき殺した彼の替わりに刑務所に入るなら、娘は開放してやる」と取引をしてくるのだ。

高野は、娘のために刑務所に入ることを選ぶ・・・。このとき、娘は、高野のことを本当に父親として許すのだ。

 

そして、数年が経ち、高野は出所してくる。

娘はすっかり大人になり、茉茉の手紙を持ってくる。そして、茉茉お姉さんはもうこの世にいないと言うのだ・・・。

驚く高野が手紙を読むと、「あの一晩はとても幸せだった、実は、わたしはあなたのことをずっと以前から知っていたのだ・・・」と、驚く事実が書いてあった・・・。

 

愛することの幸せ

実は、茉茉が病気で入院していた隣のベッドに、高野の妻が入院していたのだ。

高野の妻は、刑務所から来る手紙を(彼は以前にも刑務所に入っていた)見せてくれたりして、茉茉は会ったこともない高野を身近に感じるようになっていく。そして、彼の妻が亡くなった後に来た手紙に、彼の妻のふりをして返事を書き始めてしまうのだ。

 

高野は刑務所にいた時、妻からの手紙だけが心の支えだったが、その一部を茉茉が書いていたことを初めて知る。

そして、密かに高野を愛してしまった茉茉は、あと半年の命と宣告され、部屋を間違ったふりをして高野に会いに来たというのだ。

 

一晩会っただけだったが、茉茉はとても幸せだったという。

もちろん、高野はその事実を知って呆然となり、自分を愛してくれた女性が死んでしまったことをただ悲しむのだ。

 

 

人は、愛されることと愛すること。どちらが幸せだろうか。

わたしは、「愛すること」なんじゃないだろうかと思う。

 

元富豪でギャンブルから立ち直れない高野は、いつも愛されたい男だ。

駄目な自分を支えてくれた妻や、突然現れて娘に再会させてくれて希望を感じさせてくれた茉茉をいいと思う。彼女たちの愛で、自分が生きていけると思う。自分を愛してくれる女性が、いつも必要なのだ。

 

一方、茉茉は、会ったこともないけれど密かに愛してしまった高野に会いにきて、最初はトラブルもあるけれど、なにか彼のためにできないかと思い、娘と再会をさせる。ただ、彼に幸せになってもらいたいからだ。

 

ラストの手紙で、茉茉は幸せだったと死んでいき、それを読む高野になんともいえない虚しい悲しさが漂うのは、高野には愛した満足感がないからなんだと思う。

 

人は、愛されたいと渇望するより、心から愛する人がいるということが幸せなんだ。そして、そのことを感謝しないといけないんじゃないか。そんなことを思わせてくれる映画でした。

 

 

*写真は、百度からお借りしています。
*このブログは個人的なもので使用している画像、 動画等の著作権はその著作権元にありその権利を 侵害するものではありません。