中国でも上映が始まった『シェイプ・オブ・ウォーター』。

中国では、『水形物語』という題名だ。

 

主人公の両生類の男性を、日本では、”半魚人”という便利な言葉で表しているが、中国ではそんな言い方はしないので、「”人魚”の物語」ということになっている。

だから、中にはいわゆる女性の腰から下が魚という姿を想像して、美人が見れると勘違いしている人もいるようだ。

でも、見にいったらびっくり、男性の両生類の姿! 笑。

日本では、こんな勘違いはないと思うが・・・。

 

 

すばらしさはどこにあるか

この作品は、数々の賞を受賞し、(アカデミー賞の作品賞、監督賞、作曲賞、美術賞の他にも、ゴールデングローブ賞の監督賞、作曲賞、ベネチア国際映画祭で金獅子賞など)、すばらしく評価が高いのだが、分かる。

 

例えば、冒頭のシーン、ソファで寝ている主人公のイライザが目覚ましで起き、ゆで卵をタイマーかけて茹で始めと同時に入浴。ここで、主人公は一人暮らしなんだな、タイマーを使うきっちりした性格なのだ、と分かる。

 

そして、用意した朝ご飯の皿を持ってお向かいの部屋へ入っていく。そこには初老の男性がおり、にこやかに迎えてくれる。

・・・ああ、一人暮らしだけど、孤独じゃないんだ。近くに親しい人がいるのね。

 

で、その男性とのやり取りで、口がきけないのだと知る。しかし、外で消防自動車がうるさく走っていて、その音は聞こえているらしい。不自由なのは口だけと分かる。

 

そして、男性と一緒にテレビを見て食事をして、自分だけ仕事に出かける時、アパートの廊下で今テレビで見たばかりダンスのステップを真似して微笑んだりして、障害者で裕福でもなさそうだけれど、そういう生活の中の小さなことで楽しみを見つけて暮らしてるんだなあと。

 

そして、外に出ると下の階の映画館のオーナーが、チケットをくれて、ポップコーンをオマケしてくれるとか言ってくれる。向いの初老の男性やこのオーナーみたいに親切にしてくれる人が周囲にいて、主人公は助けたくなるようないい人なのかな・・・、と

 

するとカメラが引いて、向こうの方に燃えているチョコレート工場があるが、主人公はまったく目もくれず無視して歩いていく。ふーん、ちょっと浮世離れしたかんじの人なんだな・・・と

 

文字にしたら長くなったけど、始まってたった数分、テンポよく、主人公の口が不自由なこと、彼女の性格、周囲の人たちとの関わりなど、基本的なものが全て分かるようになっている。

すごい!! なんて効率がいいんだ、ムダがない。

もうここだけで、この映画はただものではないと、すぐに分かった。

 

好きか嫌いかはあるだろうが、ムダなところがなくて、すばらしいと思う。

ムダがないということは、味気ないということではなくて、すみずみまで行き届いているということだ。

 

 

マイノリティを描いた映画

それに、時代をわざと1960年代にして、社会には多様性があって差別があって、いろんな問題があるということを暗に埋め込んでいる。

主人公は障害者であるし、半魚人は一応人の形で知性もあるのに言葉が通じないというだけでひどい虐待を受けたり(←たぶん人種的なことを象徴してると思う)、向いの初老の男性は同性愛者だし、社会のマイノリティの人々を描いた映画なのだ。

 

人と半魚人(両生類らしいけど)のラブストーリーという奇妙なストーリーに目がいってしまうが、その奥にある、現代のアメリカ社会への深刻な問題意識ゆえに、画面の色調は全体的に渋くて沈んでいる。

一方、音楽はあくまで60年代の幸せだったころのアメリカというかんじで、ほのぼのとして、その画面と音楽との対比も効果的だ。音楽賞をとったのも納得。

 

・・・語り始めたらきりないので、そんなことくらいにして、あらすじをどうぞ。

 

 

あらすじ

イライザ(サリー・ホーキンス)は、政府の研究機関で掃除婦をしている。孤児院で育ち、口がきけないので手話で話すが、耳は聞こえている。

向いの部屋のイラストレーターのジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)や、仕事場ではゼルダ(オクタビア・スペンサー)が、イライザの友人で彼女を助けてくれている。

 

 

テレビを見ているジャイルズとイライザ。映っているのは、たぶん本物の当時の番組みたいだった。

 

 

ある日、ゼルダと掃除をしていた部屋に”実験物”が運ばれて来た。厳重に水槽に入れられていたそれは、巨大な両生類(ダグ・ジョーンズ)だった。(一応、半魚人と呼んでおきます。)

半魚人は、南米(アマゾン?)で原住民から”神”と崇められていた。それを捕獲してきたのだ。

 

その時には、はっきり姿を見ることはなかったが、後日、血だらけの実験室を掃除しろと呼ばれた時には、さすがに気味が悪い。しかも、食いちぎられた指が床に落ちていた。

 

 

 

イライザは掃除に行くうちに、半魚人と水槽のガラス越しに対面する。

一瞬で心を奪われてしまったイライザは、翌日から毎日のように掃除用のキーで部屋にこっそりと入り、半魚人に会いに行くようになる。

ゆで卵を持って行き、手話で「卵」と教えながら与えたり、レコードをかけたりするうち、警戒していた半魚人がだんだんと彼女になついてくるのだ。

 

 

 

 

研究所を仕切っているのは、元軍人のストリックランド(マイケル・シャノン)だ。彼は、半魚人を虐待して指を食いちぎられ、それ以来ますます半魚人を虐めていた。

そして、解剖してしまおうと提案する。

一方、科学者のホフステトラー博士(マイケル・スタールバーグ)は、イライザと半魚人が意思を通わせているのをこっそり見て、半魚人には知性もあり言葉も理解できるのだから、殺してはならないと主張する。

対立する2人だが、結局、政府の上のほうから解剖をすることに決まってしまう。

 

 

 

 

それを知ったイライザは、なんとか半魚人を救わなくてはと決心。

向いに住むジャイルズに協力してくれと頼むのだが、拒否されてしまう。

犯罪を犯してまで救おうなんて、バケモノなのに・・・ジャイルズが言うと、

イライザは、「彼は私をありのまま受け入れてくれたの、障害者とかそういうことでなくて、一目見た瞬間から、ありのままの私をそのまま認めてくれたのよ。」それが分かったのよ、と叫ぶように訴えるのだ。

 

それでも、ジャイルズは手伝えないと一旦は断るものの、懸想していたパイ屋の店長(←男性、ジャイルズは同性愛の人だったのだ)に拒絶され、イライザに協力することにする。

 

 

いろいろ準備して、解剖予定の前日、2人は計画を実行。

ストイックランドが気づいて2人を追ってくるのだが、掃除婦のゼルダとホフステトラー博士が助けてくれて、無事に半魚人を救い出すことができた。

 

実は、ホフステトラー博士はソ連(1960年代には、こう言ってましたね)のスパイだ。ソ連の上の方からは、こちらに取ることができないなら、解剖なんかさせるか、その前に半魚人を殺してしまえと命令されていたのだが、半魚人を殺すのは惜しいと悩んでいた。それで、イライザに協力したのだ。結果として、母国も裏切ってしまうことになったのだが・・・。

 

 

イライザは、アパートのお風呂で半魚人の世話を始める。

仕事中はジャイルズが見ていてくれるはずだが、居眠りしたすきにジャイルズの猫を食べてしまったり、映画館で映画を見てたり、たいへん。笑。

そして、不思議なことに、半魚人の体が光ると治癒力があるようで、ジャイルズの傷がすぐに治ったり、頭に毛が生えてきたりする。さすが、”神” なだけある。

 

すっかり心を通わせたイライザと半魚人。

しかし、いつまでも置いておくわけにはいかない。

イライザは、大雨の夜に埠頭から彼を逃がそうと決めた。

 

そして、その日がやってくる。

予定通りの雨。

しかし、上司に脅されたストイックランドは、なんとしてでも半魚人を取り戻そうと執念の追跡・・・。

 

 

*****

 

監督の愛

ラストは、けっこうドキドキだった。←個人的な感想ですが。

 

最後に、・・・

半魚人の魅力。

半魚人の姿や表情が、どこかユーモラスでかわいらしくもあり、不気味で怖くもあり、スタイリッシュでもある。

着ぐるみというのか、特殊メイクをして水の中につかりっぱなしで演技するのは、さぞ大変だったのではないかと想像する。半魚人役の、ダグ・ジョーンズ氏にも賞をあげて欲しいなあ。

 

2時間で見てしまうけれど、半魚人のデザインや特殊メイクや、その他の全てにおいて、どれだけのものが詰まっているんだと、それが感じられて、人と半魚人のゲテモノなお話では終わらない、それ以上のものに昇華している。

ギレルモ・デル・トロ監督の愛ですよ。愛。作品への愛。

それがこんなに密度高く詰まっていて感じられるのが、この作品の一番の魅力だ。

 

映画館で、感じて下さい。

 

 

 

 

 

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