前回の続き〜
家系図を見て、
子孫がいることがわかったけれど
妻の名前が出てこない。
やっと見つけたけれど
なんか変
全盲で、国学の編纂、
分類して印刷して製本にするんだよ?
膨大な手間と
膨大なお金がかかるよねえ?
点字もない時代だよ?
多くの人を巻き込んで
協力してもらうという
保己一は、政治力と
人としての魅力があったはず。
どんな奥さんだったんだろう?
怒ることのない
人格者だったようですが、
私の想像だけど、
清廉潔白で
真面目なだけだったら
人は離れていくよね?
付き合いづらいもん。
製本には莫大なお金が必要なはずだから
多くの人が魅了される
人間だったに違いない。
私は記念館の年表をくまなく読む。
62歳の時に、子どもが生まれている。
え?
62歳?
ということは、
子どもが産める年齢の妻がいたということ?
だけど、
これだけの偉業をした人の妻は
きっと苦労があったろうに
記念館にもウィキペディアにも載っていない。
あちこち調べまくって
やっとわかった。
(家庭のことは本人が話したがらなかった。没後、長女の回想記録がある)
保己一は37歳で初婚。
1人目の妻は(御三家の名医の若い娘)長女を産んでまもなく子を置いて家を出る(その後離縁)。
2人目の妻は内助の功。先妻の子を育てる。
しかし病弱で子どもに恵まれなかった(長女談)。
んー、
ということは、3人目の妻がいるということだよね?
3人目は住み込みの女中さんで、かなり若い。自分の娘より若い。で、2人目の奥さんとは離縁していない。同時進行
2人目の奥さんが子どもに恵まれないので、女中に頼み込んだと書いてる学者がいるが、そんなバカな
保己一には4人の息子がいたので、、、、4人ともこの女中さんが産んだのか?!
で、彼女はまだ若いという事で(?)周囲が他の人と結婚させたそうです(子どもは置いて)。保己一は非常に惜しんだとか。
びっくり。
でも末の子が跡を継いでますからね。
何が良くて
何が悪いのかなんて
言えないわ。
しかし跡を継いだ子は
なんと風評被害で
伊藤博文に暗殺されている、、、
しかしその反省で
身障者団体へ
多額の資金援助をしたらしい。
むーん。
8月に引退して9月に亡くなってる
ということで
私の推し活は一段落したように思ったのですが
なんかまだ続くような
そんな流れになっています
おしまい。
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