バイト先の仲間は

みなお子さんがいる。

 

今年は25日のクリスマス当日は

月曜日で仕事だった。

 

「それでサンタはうまくいったの?」

 

お子さんの希望のプレゼントを探すのが

大変だったとか、

いつもは子供と一緒に寝るのを

夜中に起き出せるかドキドキだったとか、

横浜はサンタが来るのは中学生までだとか、

いろんなクリスマスプレゼント話で

盛り上がった。

 

 

我が家の今年のクリスマス🎄

 

 

盛り上がった話の1つに

「プレゼントが欲しいなら

もっとちゃんと勉強してくれないと」

というのがあった。

 

特に中学高校の男子の親は

彼らがゲームばかりやっていて

ちっとも勉強に身が入らないことを

とても嘆いていた。

 

 

令和になっても

親の悩みは変わらないものだなぁ。

子供にはしっかり勉強してもらいたい。

それはその子の将来を思ってのこと。

 

その氣持ちは分かる。

子供に幸せになって欲しいのが

親の切なる願いだものね。

 

 

 

でも何か引っかかるよなぁと思うのは

わたしがクリスチャンだからなのか?

 

 

クリスマスにプレゼントを交換するのって

神さまがわたし達にそのひとりごを与えるほどに

わたし達を愛されている、ということの

真似っこの行為だと思うのだ。

 

で、神さまはわたし達が

良い子だったから

親の言うことをよく聞いたから

勉強をちゃんとしたから

イエスを遣わしたのではないわけで。

 

もし、良い子じゃなかったら

イエスは生まれませんよなんてことだったら

絶対イエスは誕生できないよなぁ。

 

まぁ、日本では

クリスマスもバレンタインもハロウィンも

商業戦略に乗っているだけだから、

プレゼントをあげる側が

何か条件を付けたくなるんだろうか。

 

 

その子自身の誕生日だったら

良い子だったかどうかは関係なく

お祝いする…よね?

プレゼントが良い子度合いによって

変わったりしないよね?

 

 

 

クリスマスも、

何かの条件なしで

祝う氣持ちでできたら

いいのにな、と思った

今年のクリスマスだった。