こんにちは

リーフです。

誰一人として悪を欲するものはいない


この言葉を見て何を感じますか。


そんなことを言ったら、泥棒や殺人犯はどうなるのだと
思いますよね。



また、普通に生きる私たちでさえも
常に偽りや、多くの嘘、裏切りの中で暮らしています。


ですので清廉潔白な人間を探すことの方が難しい。


しかし

見方を変えると

極悪非道とされる悪事である殺人でさえも

悪ではなく「善」なのです。




善!?




よく、性善説という言葉があるため

善=善いことと捉えられがちです。




しかし

善はギリシア語でagathonと言いますが

そこに道徳的な意味合いは一切なく

ただ「ためになる」という意味があります。




そう



「よいこと」ではなく「ためになること」



反対に
悪(kakon)という言葉に「ためにならない」という意味です



つまり


純粋な意味での

「ためにならない」

ことはこの世界に生きる人間は行わないということです。



アドラーはいいか悪いかは別の問題として

殺人犯にとっての

人を殺すことはその人間にとって「ためになること」

だったと言います。


つまり全ての犯罪者には犯罪に手を染めるだけの
「然るべき理由」があった。


然るべき理由=善(ためになること)

ということです。





そしてその善はあなた自身が常に選択していることにも
気づかなければいけません。


仮にもしあなたが今


不幸であると感じているのであれば

自分で不幸を選択しています。




つまりそれは不幸であることが自分にとっての善(ためになること)
と判断したということです。



私はこの理論を自分のケースに照らし合わせてみました。




実は私は以前から飲食店を行いたいと思っています。

飲食に関わる仕事がしたい思いがあります。


ですがこの夢に向かって全く走っていない
目標達成に向けて動いていない自分がいます。


ずっとずっとやりたいと願ってはいるのに
動く気配がないのです。


心の中や頭の中では常に考えているのに
行動にも移さない、アピールもしません。




なぜか。







自分が摂食障害だからです。








食べ物が怖い、作ることが怖い、
これはまた後ほど書きますが

1週間決まった物を食べないと気が済まない時期などがあります。


心のどこかでどうやって人を喜ばせる料理を作れるのかという絶望と

食べ物に毎日携わることへの言い知れぬ恐怖が常にあります。



「飲食に関わりたいけれど、摂食障害があるから無理」


そう自分に言っています。


それは先ほどの理論を当てはめると

「夢が実現しないのは私の責任ではなくこの病のせい。

摂食障害さえなければ私にはできる。。」

と摂食障害があることで

可能性の中に生きることができているのです。


つまり私にとっての善とは摂食障害なのです。



ここまでわかっているのに

一歩踏み出そうとしないということは
本当に恐れているのでしょう。

また、この論理がわかっても摂食障害は簡単には直りませんが苦笑



ですが、結局は不幸であることを自ら選んでいるのです。


皆さんもこころあたりはありませんか

例えば

海外に出たいと考えている方

英語を話せるようになりたいと言いながらも
英語さえ出来ればとっくに海外に出ていると言い聞かせていませんか。


海外へ転職したいと言いながら
自分が就職ができないのはスキルがないからだとしていませんか。
スキルさえあれば成功すると。

世界一周に出たい方
未知の世界へ飛び出したいと言いながらも、
若ければ挑戦していると気持ちに蓋をしていませんか。



そして夢に向かって生きられないことに
人は絶望し、自分の人生を嘆きます。


しかし、自分で現状を選択していることに気づけば
問題への改善を試みることが出来ます。




私は、やりたいことよりも自分が一番恐れていることを
やるということを心がけています。

怖いということは失敗したくないということ。

失敗したくないと言うのは大体やってみたいことです。



皆さんも自分が怖いと思っていることに
挑戦してみませんか。




今日も長い記事でしたが最後までお読み頂きありがとうございます。


また更新します。(‐^▽^‐)



リーフ