長崎県諫早市の整理収納アドバイザー、作下裕美(さくしたひろみ)です。
土日はお客様の体調不良が続き、急遽予定が空きました!
まだまだインフルなども気が抜けませんね…^^;
日曜日は3/11でした。
家族で出かけた先でサイレンが鳴ったのでみんなで黙祷…。
娘は東日本大震災を知らないので「なになに?」と不思議そうでしたが、一緒に手を合わせて「南無阿弥陀…」と唱えていました。
当時私は関東にいて、31階建の建物の11階で勤務中でした。
そして、その日は金曜日で、次の日から夫婦で四国へ旅行の予定でした。
地震が起きて大きく揺れ、その後はあまり仕事にならないくらい、周りも動揺して家族に連絡を取ったり、ニュースを見たりしていたのを覚えています。
津波の映像を見たのは夕方くらいだったと思います。
東北出身の方も沢山いて、家族の安否確認のためにずっと連絡を取ってる人も多かったです。
そんな中、電車が止まりその日は帰れなくなり、エレベーターも動かないので階段で11階と1階を往復して近くのスーパーに同僚の人と一緒に食料を買い出しに行きましたが、ほとんど売り切れていてビックリしました。
こんなことはみんな初めての経験で、職場で備蓄している食料などが配布されるのもだいぶ後になってからでした。
今日の朝、夫と「7年経つけどその当時のことを結構鮮明に覚えてるよね〜」と話しました。
それはやっぱり、私達は地震の被害は直接受けていないけど、
それでもあの時、大きく揺れて心臓がドキドキしたこと、スーパーでご飯が買えなかったこと、1週間くらいはどの店でも食べ物が品薄だったこと、電気が使えない不便さ、電車が止まって身動きが取れなかったこと、次の日の早朝に満席の電車に乗ってみんなピリピリした雰囲気の中で帰宅したこと、計画停電のこと…
そんなことがやっぱり多少なりともトラウマになっているからなんだなと思いました。
もしあの時、子供がいたらどうなってたんだろう?
電車が止まったのにどうやって迎えに行ったんだろう?
昨日は色んなことを考えながら避難グッズの見直しをしました。
私は9/1の防災の日、3/11の東日本大震災や4/14〜16の熊本地震、ちょうど半年スパンで避難グッズの見直しをやっています。
今回賞味期限が切れた食材。