被災地 炊き出し報告

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先ずは、
今なお、恐怖に怯え、寒さに震え、原発に脅かされている数多くの皆様のご復興をお祈り申し上げます。

報告という名の、極めて個人的見解、発言をお許し願います。

それに伴い、扇動するつもりも、共感を求めるつもりもありません。
今回の炊き出しにあたって、協力を申し出たのは、クルマを探した位で、他のご協力は自発的な支援であり、それらが集まる事によって、現地に行く事になったもので、賛同者代表としての報告、という事であります。


3月11日の東日本大地震から、丸一ヶ月後の4月11日、僕達はあてもなく岩手県に行きました。

あの時の気持ち悪い揺れを感じてから、

津波後の映像を見てから、

Twitterの妙な一体感

音楽家の音によらないグルーヴ

募金や支援活動の不協和音



ただ、ただ何かしたい!
現状を見てみたい!
胸の内側のうねうね、ぐにょぐにょをどうにかしたい!

手柄をたてる?

人々の賞賛を得たい?

偽善?

自己満足?

売名行為?



うーーーー



そんな事はどうでもいい‼



今まで、社会の常識や周知の事実、世間体に従って決めてきた行動に、一体どれ程の価値があったか。意味があったか。持続性があったか。感謝があったか。希望があったか。



今こそ、自分の意思に従い、自分で意味付け、自分の行動即ちそれは、つながりある命において、他を敬い、自分自身を救いに行く事。


お金はない。

余震は怖い。

放射能は恐い。

TVは信じられない。

政策はあてにならない。

インターネットも統制されている。



しかし、

温かいご飯は、作れる!

臨時休業できる⁈

実際に行ってきた仲間もいる!


実際に行こうとしている仲間もいる!

三陸産の海の恩恵を、

東北のお米やお酒を、

一体、どれくらい享受してきたか。



なんというか、DNAが呼応したというか。体の中の自然が働いたというか。





半強制的じゃがメイトTちを誘ったところ、二つ返事で行きましょうとなった。

それを聞きつけて、是非連れてってくれと、Aずー。

有給休暇とってもらった友達との約束をドタキャンしてまで、行きたいとCK子。

運命共同体の盟友、G二郎。


僕らのやれる範囲で、なおかつ支給されてないであろう、カルボナーラ、チャーハンを各200食ずつ提供しようという事で、プロパンガス、発電機を好意の方に支援して頂いた。

くどいようだが、以下も全て協賛ではなく、個人の意思での支援。

投光器貸与 F氏

生パスタ200食、ベーグルラスク多数、ジャム E Qギャッツさん

発電機 Yクレープさん

プロパンガス 鋳物コンロ2 マスク1000個 二升釜 単三乾電池100個 バナジウム飲料水40リットル D丸ガスさん

グラナパダーノチーズ2キロ N牛乳さん

グラナパダーノチーズ1キロ、ベーコン1キロ、紙食器 Sカフェさん

生クリーム2キロ M乳業の販売員さん

卵10キロ(約200個) M島飼料さん

お米30キロ、ポリタンク M谷酒店さん

レンタカー代1万円 Iモータースさん

二万円 兄貴

三千円 母親

その他、多数の方の助言、忠告、心配を頂いて、みんなの代表として、まだ見ぬ現地へ向かった。


僕らの供給能力、放射能の警戒を考えて、岩手県の野田村を目標地に決めた。
そこは、各避難所の人数が最大でも3、40人という情報。

東海北陸道をひた走り、新潟を経由して、日本海東北道を利用し、青森県九戸から、徐々に南下するとともに、役所に問い合わせ。

当初の目的地、野田村は炊き出しの予定はずっと埋まってるそうで(それでも夕食は自衛隊員による弁当の支給)、被災範囲の広い宮古市に問い合わせ。

さすがに宮古市の規模となると、役所も、より業務が複雑故に統制されている。

さらに南下した大槌町は、役所と町長が津波に流される程の被害。電話もつながりません。

山田町。津波による被害は甚大で、ほんの高台の役所の眼下まで飲み込まれたそうです。
photo:01


写真は、山田町四階窓から望んだ三陸海岸。

問い合わせると、ちょうど炊き出し予定が空いていたという事で、キャパシティ的にも無理がなさそうなので、是非活動させて頂く事になりました。

現在、役所は24時間体制で、最初の野田村と比べて、お役人の顔つき、目つきも違うし、なにより、役所内の異臭が、ものものしさを語っていました。


とにかく、みんなの思いと物資を預かってきた身、敢えてアポなしで訪れて、炊き出しが出来る事になって、正直ホッとしました。

山田町役場付近は、自衛隊員が眉ひとつ動かさずに任務をこなし、各地から来たと思われるボランティア団体は、自分のペースを乱さず、現地のペースを乱さず、活動している。

仲間であり、同時刻、気仙沼市で炊き出しに行っているお坊さんにも言われた事だけど、がっちがちに救済の気持ちバンバンで行っても、自分が壊れるだけだと。
その意味は分かるようで、分からなかったけど、目の前の光景と状況と自分を照らし合わせた時、何かがちょっとラクになった。
張り詰めているだけでは、いけない。

東北は、まだまだ寒いです。沿岸部はまだしも、道中で背丈ほどの除雪された雪は、飽きられる事なく主張していた。
深夜から明け方にかけて、外気は0℃
風もそれなりに吹く。瓦礫の粉塵を乗せて。

山田町役場に着いたころには、辺りは暗くなりはじめ、役場を避難所としている人々は、暗い顔で戻ってくる。自衛隊員は、物々しくしている。お役人は、通常業務をこなしつつ、緊急時の対応に追われている。全国の有志によるボランティア活動、支援物資の到着、仕分け作業。

持ち主さえ見つからない漂流物
photo:02




炊き出しの内容を一部変更すると共に、手順の再確認をして、夜は語らいながら、テントと車中泊に別れた。

トイレにたつと、真っ暗闇の瓦礫の漁師町から、すすり泣きながら、避難所へ戻る初老の女性。彼女は、見るからによその土地から来た僕らを見て、申し訳なさそうにされた。

この時ばかりは、胸が張り裂ける思いでした。


車中にて、ヒートテックを身に纏い、ダウン等のアウターを羽織った上の、寝袋の中でも、底冷えしました。


朝は、早めに準備に取り掛かったのですが、もともと効率の悪いパスタ。あっという間に長い列が出来ました。

50代の女性が一番多かったような気がします。ついで、30代のお母さんが小さな子を連れて。次に10代の女性。60代男性、といったところでしょうか。

後で聞いたのですが、漁師町故に、大津波警報が出て、漁師さん達は、船をからげに行って、そのまま帰らない方が多いとの事です。


生パスタのカルボナーラと野菜の雑炊を用意したのですが、「パスタなんて夢のよう!」「卵はこの一ヶ月で一個しか食べてない」「美味しい!」「温かいのはうれしい」「おにぎりは支給されるが、冷たいから雑炊にして食べる」「これは、御国の食べ物ですか?」「おかわりしていいですか?」



ただひたすらに、パスタを湯がき、ソースにあえる事に専念する事で、自分を成り立たせていた。

喜んでもらうという事が、この上なく嬉しく、むしろこちらの喜びであり、感謝です。

僕達こそ、元気や感動を与えてもらいました。
photo:03



そして、何より仲間との時間が、勇気付けてくれた友達が、心配してくれた家族が、ちっぽけな人生を色付けてくれた事に感謝。
犠牲だなんて思わない。

現在

現実

現状



理想なんて、軽くうちのめされる。

我が為すは、我が為すに非ず。


自然に耳を傾けよう。

僕達は自然の生き物だったはず。

また行くのかと、よく聞かれる。

そんな簡単に何度も足を運べるものではない。

毎日、天気が違うように、同じ瞬間なんてない。

施しに行ったワケではない。


傷口に絆創膏を貼ったような感じ。

最終的には、自立を支援しなくては。

空腹の胃を満たしに行ったのでなく、心の糧を届けに行きたかったというのが、僕のアルティメット的エゴかもしれない。

それでも、結局満たされたのは、
自分自身だけかもしれない。


しかしながら、正直、心のモヤモヤは、だいぶ晴れ渡りました。


原発の問題を筆頭に、不穏な日々が続いてます。

諦めることなく、立ち向かって行こうではありませんか!





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