ひさしぶりの
ブログ更新。

こうして
あの時のことを
振り返って
書ける「今」があって
本当によかった。

出産して10日後。

無痛分娩だった
とはいえ
まだ傷はイタタタタッ
って感じで
本調子ではないものの
産後の出血も
ほとんどなくなって
きたし、
あとちょっとで
ミジュを抱っこできる
くらいには復活するなー♪

なんて思っていた矢先のこと。

いつものように
21時くらいに子供たちと一緒に
ベッドに入って、
深夜1時くらいに一度
baby girlにおっぱいに起こされ
二度目はだいたい3時過ぎ。

授乳を終えた、3時40分くらいかな。
突然、

え!!?

ってビックリするほどの量を、出血。

あれ?
どうしちゃったんだろう。
朝になったら
病院にいったほうがいいかも•••

そう思っていたら、
またすぐに
出血したのを感じて、

すぐに病院にいくことに。

私もちょっと焦っちゃって
母に伝えたら母もビックリしちゃって、
結局、軽い口論みたいになって泣きながら出発。(涙)。

まだ暗いタクシーの中で
ダリンに電話したんだった。

出血しちゃって、
でもたぶん
大丈夫だからって。ただ
ミジュもかはなちゃんも
ふたりとも起きちゃってて、
0歳と2歳ひとりで
みるのは大変だから
お母さんが大丈夫か心配でって、
泣きながら話したんだ。

だいじょうぶだよって言う
彼の優しい声を聞いたら
ものすごく落ち着いたのを覚えてる。


ERについた。
車いすを用意された。
出血が続いているのが分かった。
痛みはなかったけど
なんだかすごく不安で、
涙がとまらなかった。


大きなパッドをひいた
ベッドに寝かされた。
夫と話していい?
ってナースにきいて
iPhoneでスカイプした。

出血は。
止まらないどころか
どんどん量が
増えていっているのが
分かって、怖くて、、、
とにかく
彼の顔をみて
彼の声をきいていたかった。

ドクターがひとりきて
またひとりきて
ナースが変わって
みんなすごく優しくて
今どういう状況なのか
丁寧にわたしに説明してくれた。

とにかく、
ものすごい量、
出血している、と。

まずはそれを
止めないと。

その後
検査もして

24時間は
様子もみたいし
今日中には
帰せないかもしれない

「じゃあ、母に連絡したい」

ほんとうは泣いていたけど
それを隠して明るい声で
大丈夫だけど一応様子みるみたい
なんて、電話した。

「ミジュも
かはなちゃんも
大丈夫だから
安心してね」

って母も精一杯
私を安心させようとしていた。


でも
電話を切って
すぐに



早く出血を止めないと
あぶないかもしれない、と
いうことになって、

君の主治医も
今向かっているから
と聞いたとき、


あ、
ほんとうに
ヤバいんだって
思った。


今まで
感じたことが
ないような種類の
恐怖を感じた。


痛みはないのに
先生がお腹を押すと
ドバドバッと
大量の血が流れ出た。

怖くて
あまりにも怖くて
涙も止まらなかった。

ダリンに
電話して
泣いた。

怖いって
泣いた。

死んじゃったら
どうしようって
泣いた。

あぁ
私がココロから
甘えられるのって
やっぱり世界で
この人だけなんだ
って思った。この時。

あとから
聞いたら、

この時
出血していた
量はものすごくて

5時間で、

私の体内の血液、
半分、流れてしまったらしい。

約3,5リットル。

合計
6パックも
輸血した。


中にバルーンを入れて
出血を食い止めようと
いうことになって、
もしそれでもダメなら
簡単な手術をする。
もしそれでもダメなら
子宮を取る。

それでもいいか?

ときかれた。

麻酔して意識がなくなる前に
最悪なケースを想定して、
それを許可する
署名をしないといけなかった。

Are you done? って
Are you ok with it?って

もう赤ちゃんは
産めなくなってもいいですかって。

I don't know.
I just had a baby
I don't know ,,,,,
I have a boy and a girl
I am so blessed
but I don't know
if Im done,,,,,
I want to keep my uterus....

混乱した。
子宮は、
できれば
できれば•••
とりたくないですって
答えながら、
さっきまでふつうに
お風呂上がりのミジュにをキスして
かはなちゃんにおっぱいあげてたのに
すごくしあわせだったのにどうして突然、
なんでこんなことになったんだろうって
信じられなくって悪い夢みてるみたいで
怖くて怖くてたまらなくて、すごく悲しかった。

but if its a life or death situation,
we have to save your life.

生きるか死ぬかの
状況になったら
あなたを救わなきゃいけないから。

そうドクターが
言ったのを聞いて
署名した。

死ねない。
絶対に
死にたくない。

ミジュとかはなちゃんを
置いて死ぬなんて
絶対に絶対にできない。


目が覚めたらもう
子宮はなくて
首に太い点滴が
刺さっているかもしれない、
それは今いっておかないと
目が覚めた時にパニックになるから

ってナースが言った。

余計に怖くなった。
でも、生きていられれば
なんでもいいって
その時は本当に思った。

とにかく

Im not gonna die, am I ??

手術室で
ドクターに、
ナースに、
何度も聞いた。

「ね、命には関わらないんだよね?」

ダリンが私に聞いた。

「わかんない。みんな
NOって断言はしてくれない
でも大丈夫ってみんな言う
すごく優しくて
ほんとうにみんなやさしくて
今もナースが私の手を
ぎゅっとずっと握ってくれてる
たぶん大丈夫だから、
バルーンで出血が止まれば
手術にもならないから•••」

自分に言い聞かせるように
そう言って
手術台の上で記憶が飛んだ。

目覚めると別のベッドの上にいて
麻酔する前と同じ
ナースもドクターもいてくれて

すぐに
子宮まだある?って
聞いたら
あるよって答えてくれて
バルーン効いた?って
効いたら
今様子をみているところ
大丈夫かもしれない
って答えで
すごく、すごくホッとして
ダリンに電話しようと思ったら、


入れたばかりの
バルーンが
血に押されるようにして
流れ出ちゃったみたいで

また、大量に
出血しはじめた。

他の病院に
救急車で
移送されることになって
そこで
簡単な手術をするって
言われて

保険に入っていないし
なんかもう
たすかれば
なんでもいいと
思いつつもやっぱり
医療費のことも
すごく気になって

怖くって震えた。

貧血で
フラッフラの中で
意識だけはやたらと
鮮明で、

いろんなことを
かんがえていた。

よく、
本を出版した後
燃え尽き症候群になって
ひたすら部屋で
ERを観ていたなぁって


まさにコレ
ERの世界で、
わたしは

母親と子供と三人で
臨月でアメリカにきて
子供を産んで
その後出血して
保険もないのにって
どうしよう泣いている、
そんな
アジア人の女患者役。

なにこの
かわいそうな
展開
うそみたい。

ていうか
待って、

わたし、
気づかぬうちに
なんか•••
調子にのってたのかな?
だから•••
こうして人生に
ブン殴られたのかな。

そんな
ようなこと
頭の中で
高速で
グルグル
考えてた。


救急車まで
ベッドを押されて
運ばれながら
白い天井みて

貴重な体験だから
あとで作品に生かすために
覚えてなきゃって

目を開いていたり•••。

なんか、
冷静に混乱しながら
ドラマチックだった。
あの時、わたし。

で、
救急車は
あっというまに
目的地について
わたしは
別の病院に
運ばれた。

前の病院の
ドクターもナースも
本当に優しくて
良いヒトばかりだったから
移動したことが不安だった。

でも、

救急車と
病院のあいだ、
ほんのちょっとの隙間から
真っ青な空がみえて、
きもちよい風を一瞬かんじて

わたし
ハワイにいる
んだなって
その時思った。

なんて
きもちのよい
天気なんだろうって。


手術をするために
運ばれて病院だったけど
そこに搬送された頃には
出血がおさまりはじめていた。 (!)

もしかしたら
二度目に入れた
バルーンが
効いているのかもしれない。

手術の前に
様子をみよう

ドクターの言葉を
聞いた時、
泣きながら祈った。

どうか
どうか
このまま
出血が
止まりますように。

24時間。
ICUに入って
様子をみることになった。

万が一のことがあれば
手術になるから
24時間、(合計30時間くらい)
飲食禁止。

喉がからからで
キツかった。

疲れていたけど
眠れなかった。

ナースもドクターも
本当に優しかった。

ずっと
彼らと話していた。

出血は
落ち着いても
涙は
まだずっと
止まらなくて、でも、

彼らと話すことで
かなり慰められた。


誰より
ダリンに
会いたかった。


何より
こどもたちの
お世話が
したくって
たまらなかった。

あの柔らかな肌に触れて
抱きしめて抱き上げて
よしよしできることが、
どんなにしあわせなことなのか。

家族は
一緒に
いるべきだね。

いろんなこと考えて、
自分を責めたり
落ち込んだり凹んだり
寂しくなったり不安になったり
ある過去を思い出したりしていた。


夜、
やっと眠れて
起きたらすこし
気分がスッキリしていた。


結局
バルーンの
効果で出血が止まり
二泊した後、無事に
退院することができた。


怯えていていた
医療費も、なんとか、なんとか、ね
払うことができる金額だったのでホッとした。

(これが、ハワイ出産最大のリスク!!
わたしに限って大丈夫、と思っていたけど
こんなことに。アメリカは医療費本当に高いよね•••
旅行保険には当然入っていたけど、
出産関係はおりないことがほとんどだから•••

気軽に
「ハワイ出産いいよ!」とは
言えないな
と改めて実感したよ•••。

正直、
英語が話せて
アメリカに四年住んだ
ことがある私でも
この体験は恐怖だった•••)。

そんな、
怖くて
すごく
心細い時に、ね
何度も何度も思ったことがある。


『こうなったのが
こどもたちじゃなくて
わたしで、本当によかった•••』

そう思ったら
神様に感謝せずには
いられないキモチになった。

きっと
パパもママもばあばもじいじも
分かると思う、このキモチ。

自分より、
絶対に
絶対に
大切な
存在が、できたんだ。

改めて実感した。

そして
同時に

かれらの
ために
絶対に
絶対に
死ねない

そう思った。

ちょっとは無理しなきゃ
育児なんてできないけど
自分のカラダも大事にしなきゃね。

そのバランス
はいつも難しいけれど。

でも、
自分を責めていたら
今回のことは
どうやったって
避けられなかったからって
ドクターが言ってくれて
なんか、救われる想いだった。

お母さん業って大変で
ちょっとは無理しなきゃ
つとまらないくらい大変で
でも、カラダを壊すと
お母さんって
誰よりも自分を責めてしまう。
だから
そんな時、ほらみろ、
みたいに言われるのが
一番傷つくよね。

そんなことも
かんがえた。


退院した日、
ボランティアの方に
車イスを押してもらって
病院を出ると、

真っ青の空、
心地よい風に
揺れる
やしの木々。

涙があふれてきたよ。

生きていることに
ココロから感謝した。


数時間後、
ダリンが東京から
ホノルルに到着した。

予定をはやめて
駆けつけてくれた。

ものすごい
心配をかけた。

ダリンにも
家族のみんなにも
ともだちにも•••


ごめんね。
ありがと。



あれから、
もう、
半月、か。


家族
みんなで
ゆっくり
ハワイステイを
たのしんで、
(ダリンのママ、お姉ちゃん、
いとこのMiyuuちゃんもハワイに♡
ミジュはノースにかめさんを
見に連れて行ってもらったりで大喜び!)

そして今は、
ダリンが一足先に
ミジュをつれて帰国して、
(あまりにも寂しくて
わたし、
その夜は号泣だった•••。
母がドン引くくらいの
泣きっぶり•••w
しかし
パパっこミジュは
今は元気に保育園に
通っているみたい!
アニキ偉いよ♡♡♡
そして
2歳児をひとりで
飛行機で連れて帰った
ダリンも最高に偉いよ♡
機内で2回うんちしたんだってw
はい、イクメン大賞2012受賞!!w)


ということで
かはなちゃんの鼓膜が
飛行機OKになるまでの
あと、ちょっとのあいだ

ばあばとわたしとかはな
girls三世代inハワイ。

帰国したら
2歳と0歳育児が
本格的にスタートするから
ゆったりとカラダを休めつつ

当初の予定どおり
「さくさく」更新
できずにいた分の
ハワイブログをアップしていこうかな♡

わたしはもう
元気なので
心配しないでね♡













いやー、
やっぱりわたし、
さくさく「なう的更新」向いてないね。
この期間限定ブログを
はじめるとき、
書いた文章
読み返さない
誤字脱字なおさない
細かいことまったく
気にしないで
写真を中心に
iPhoneから
「なう」的く更新!!
ってルールを自分に課したのよ。
じゃないと、せっかく
産休でハワイにきてるのに
仕事しているみたいになっちゃうから(笑)
でも
みてよ、
ほら、
わたし
こんなにも
長ったるい
文章書いてるよ、
PCで
なう。(苦笑)
せめてもって
ことで
読み返すことなく
さくっとアップするわ
ってことで
MacBookAIrからの投稿。