《3分の歌も2時間の映画も本質は同じ》


「微細身瞑想」「存思」とは「どの様なものか?」また、

通常の「瞑想」とは、どの様に「違う」のか?その「答

え」の一つに「降りて来る」または「気付く」物事が、

《何故か「恐ろしく正確」になる》という「事実」があ

ります。これを「作詞家、作曲家」に例えれば、彼らは

「他の人達の魂を揺さぶる、歌詞や曲」を生み出さなけ

ればいけない「人達」ですが、それは、他の「創作家」

の仕事と同じくいくら良くても「新しい作品」を作り続

ける必要があり、その「作品」が大衆に支持される確証

はまったく無い「仕事の性質」を持っており、それ故の

「生みの苦しみ」が有る「世界」と言えます。

その中においても、

《3分の歌も2時間の映画も密度は同じ》と言う名言を

残した「故、阿久悠氏」。近年では「秋元康 氏」や名

作曲家の「ハンス・ジマー」。自らを作詞家や作曲家と

名乗る人達は五万と居る世界で、彼らの仕事は驚異的で

すし、その道の「神様に好かれた」としか言い様があり

ません。何故、その様なことが可能なのか?とすれば、

《浮かぶ「発想」「アイディア」が「全て的を得て」い
て「正確」だからなのです。》

つまりは、《「上」との「つながり具合」一つが、俗に

言う「センス」というものなのです。》更には、そこに

は「本気度合い」が「介在」します。時代が昔であれば、

その「ひらめき具合」一つが「生死」を決める「局面」

を「支配」していたのですから、それが無い、今の時代

に如何にその「本気」を「引き出せるか?」が「勝負の

別れ目」となる訳です。「何となく」でも「微細身瞑想」

「存思」が「想像」出来れば、幸いですが、私もこれを

日々使うことによって、皆さん方に読んで頂いている、

毎日の「ブログのネタ」に「困ることなく」書ける訳で

すし、「氣塾」を運営することも出来るのです。つまり

は「常人」には出来ない「そんな、バカな!」みたいな

ことを「可能」にしてくれるのが、これらの「力」です。



いかがでしょうか?「存思」ですから「思いが存在する」

のです。大きくは「瞑想」であっても、完全に「思考」

を「停止」させる「瞑想」が有れば、それよりも「少し

上」にある「思考可能な意識レベル」を使用する「禅定」

まで様々なのです。これらは全て使用する「意識レベル」

が異なるのですから、その為には「意識レベル」をコン

トロールする術がなければいけません。それが我々で言

えば「呼吸法」だと言えます。クリエイター、職人、プ

ロ、それらの人達も「真剣勝負」の中で「特定のゾーン」

「上との繋ぎ」を得る。全ては「同じこと」なのですよ。

《ここを自在にするのが「存思」「微細身瞑想」だと
いう事です。》

よって、どうすれば良いですか?と「安易なコツ」を聞

かれても、数年、数十年を掛けて身に付けるものですし、

一朝一夕で身に付くものではないのですよね。



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「氣塾」では「2番チャクラ=丹田」から順に各チャク
ラを「稼働」させ「覚醒」させる事が「遠隔、対面」
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では、新たな「テーマ」に移りましょう!!