タイトルは文字通り身体のあるじは心だよ、という意味で、貝原益軒の養生訓にも出てきます。

東洋医学の理論の中核となっている陰陽五行説では、「心は君主の官」と言って、ここでも心は全体の君主だよ、と説いているわけですが、これは主に、心臓が止まったらお終いだよ。という臓器としての作用を言っています。

精神作用については別に五神というのがあって、肝は魂(こん)・心は神(しん)・脾は意智(いち)・肺は魄(はく)・腎は精志(せいし)。
五臓のそれぞれが精神作用を担っています。この中身も面白いのですが、それはまた別の機会に。だって意(思い)が脾(胃)に宿ってるって面白いでしょう?(←面白がってるのはわたしだけ?)


貝原益軒に話しを戻しますと、心は身の主也。身は心の奴(やつこ)也。と300年前に書いていたわけです。そのタイトルがズバリ「養生訓」。病気にならないためには養生だよ。と言っている訳です。

心は身の主也、については尊敬する諸姉が最近相次いで書かれています。


精神療法士ミミネコさんは、豊富な臨床経験を通して、心の葛藤に対処せずにいると身体に変調を起こす機序を「見えないレベルから見えるレベルへ」という記事で。


アロマ&フィットネスゆかぴゅあさんはまさしく養生訓について書かれています。


養生訓は、鍼の事も薬と並べて「そんなもの使うより養生だよ」と度々言っている叫びので、若干ワタクシにとっては営業妨害ですが、その根拠は使い方を間違えると「鍼は瀉(しゃ、過剰なものを抑制、排除すること)のみで補えないから」と言っています。ここは、鍼灸師の腕次第。
「いたき鍼、あつき灸」とかね。300年前は痛くて熱いのが当たり前だったのでしょうね。現在は改良されています。

えっと、なんでしたっけ?
養生ね。大事です
養生してれば、お医者さんも鍼もいりません。

養生訓は「接して漏らさず」ばっかり有名だけど、300年前から心持ちの大切さを説き、それを養生の一環として考えていた慧眼にこそ敬服したいものです。