を読んで下さった患者さんから
「だから、気が利くお母さんのお子さんは縮こまっちゃう事があるんですね。」
というご感想を頂きました。
誠にその通り、ご慧眼ですね。
気が利くということは、心配りができることですから、これは大変な美徳なわけです。
ところが、ここに「我」や見返りが入ると、相手にとっては非常に窮屈なことになります。
「我」の入ったエネルギーをのべつに投げかけられているようなものです。
小学校のお受験教室ですと、泣きながら訴えているお母さんに先生が「受験するのはお子さんですから!お母様ではないんですよ!」と諭している場面を目撃します。
受験するのはお子さんだというのは当たり前のことなんですが、小学校受験時点では、学校選びもそもそも受験すること自体にも、ほとんどお子さんの意思は入っていないんですよね。
お子さんの実力とお母さんの願望がズレて行ってしまうと、先ほどのような修羅場が展開されるようです。お子さんは、まぶたや頬、肩に痙攣が出る一過性のチック症にかかっているケースも珍しくありません。
私自身が12年間秘書をしていた時に、たくさんの秘書さんたちに出会いました。
プライベートジェットでの出張に同行するような秘書さんは、ほとんど男性です。
優秀な執事やホテルマンのように、彼らは普段全く目立ちません。ところが、必要があって目を向けると、必ずそこにいるのです。
同じように気が利く場合でもサービスを受ける側として考えると
「サービス致しますね!ますね!ますね!」と言われたように感じるサービスと
「気がつくと過不足なく、しかも大変に気分良く過ごすことができた。」
と感じるサービスがあると思います。
二つの違いはそのサービスの目的が
相手が主体か
自分が主体か
であり
相手に良かれなのか
自分に良かれなのか
ということに集約されているのかな、と当時考えていましたが、今になってみると気を利かせる際に「我」や「見返り」がもれなくついてくる人間関係、というのは、病気の発症に心が大きく関与する事を考える際の重要なポイントの一つなのかな、と感じます。
そう考えると
つくづく例え畑違いであっても、無駄な経験というのはないものでもありますね。
全ての道はローマに通ずるって、こういうことなのかもしれません。
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