「他者との境界線を引くことの必要性を唱えながら、ワンネスだというのは整合性がないんじゃないでしょうか?」

私も持っていました。その疑問。


皆様ご機嫌さまんさ?
ホリスティックケア・プアマナ
サマンサです。


少し前に、自分を好きになるためには、超早い方で3年、私はもっともっとかかったと書きました。


最短で3年、そこには悟り、知覚の広がり、気づき、覚醒、言葉はなんでも良いのだけれど認識のプロセスがあるようなのです。


端的に言えば
自他の区別があいまいな状態から、
他者との境界線を引くことの重要性を知り、いよいよ実践できるようになった時に「ああ、ワンネスなのね」
と突然腑に落ちるというプロセス


凝った料理を作る事に例えるとわかりやすいかも


空腹を感じる  =  違和感に気づく
材料を揃える  =  知識やメソッドを集める
クックパッドで手順を再確認する  =   自分の認識やメソッドを疑って正解を求める
調理する  =  実践する
失敗する
クックパッドの別レシピを見る  =  迷った時に他のメソッドを探す
調理再開  =  再度実践する
味見する  =  疑念があるけれども認識や確信が高まってきている状態での確認


これを繰り返して最後にやっと料理/体験/人生を純粋に味わう事が出来るようになる。


クックパッドで手順を確認している段階にいる時には、ワンネスなんて綺麗事の理想論だと疑っていたし、上記の自他の境界線とワンネスの問題に疑問を持っていたのもこの頃。
ワンネスが「全」なら、自他の境界線を引くということは「分離」だから。当然の疑問だと思う。

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ワンネスという概念は、随分前から知識として知ってはいました。
  阿字観中にワンネスの状態を垣間見て以降も「ある」という事は明白なのに、その状態に居続けることはおろか、自力で再現する事も出来ないことに焦れてもいました。

依存している/させているを認めたくないために、他者との境界線がない状態をワンネスだと思い込もうとしてた時期もあった。

今にして思えば、とんでもないすり替えです。


そんなこんな時期を経て、どうなったか?


今も居続けることは出来ません。
居続けることは出来ない、ということもわかった。居続けるというのは輪廻の終わりだから。最早転生も無し。アガリ。

だから限りなく近づこうとジリジリ精進する。まずは自分自身の中にある「全」と繋がって、他者の中にも「全」を見てジリジリと範囲を広げていく。その過程が面白い。


人はワンネスから分離して生まれてきて、成長過程で自分自身とさえも分離してしまう。
けれども、おそらく、そこからもう一度、自分自身と繋がってワンネスに帰る。

それが人生と転生のあらすじなんだと思う。


そして、一回一回使命も基本的ルールも忘れて人生を過ごす事を、全員が設定してきてるんだよね。最終的なアガリを迎えるために。



ワンネス(全)を確信し、そこにいつでも繋がることが出来る人が引く境界線は、透明だったり点線だったりするのかも。


一度は境界線を引いて、やがて引いた境界線自体が幻想だと気づく。
だとすると、冒頭の疑問は、認識の違う段階/次元の現象に整合性がないと言ってるようなもの。


社会生活を営みながら、ワンネスに生きることは不可能じゃない。


今はまだ、境界線もワンネスも考えたことすらない人、クックパッド参照中の人、味見してる人、味わい段階の人が混じって社会を構成しているから整合性がないようにも見えるけれど、

いつかはきっと可能になると確信してる。


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