4人の実況者が雑談する番組を次女と聞いていたら、「親に気を使うか?」という話題になった。
レトさん(実況者トップ4の1人)が、側面から見ると悲しくて、反対から見るといい話だから、と話し始めた
父親にモノを買ってもらった唯一の思い出は、確か小学校3年生くらいの時。
誕生日でもクリスマスでもないのに、トレーディングカード(中身が見えない袋に入っていて、欲しいキャラクターが手に入るかわからないカードね)を10パック買ってくれた。
幼稚園の頃を最後に、誕生日にもクリスマスにも親からのプレゼントは無し。お年玉ももらった記憶がなく、直接父親から何かを買ってもらった事がなかったので、単純に嬉しかった。
けれども父親が買った店は、サーチし放題(袋を触って欲しいカードが見分けられる)店だったので、そんな事情を知らない父が買ったカードは、全てハズレ。
父に「欲しいカード入ってたか?」と聞かれたレトさんは、小3ながらに気を使い「う…うん!あったよ!」と答えた。
確かに悲しいけどいい話でもある。
4人のうち3人は、きっと自分でも気を使って「欲しいの出たよ」と答えちゃうだろーな、とコメントし、残る1人だけが自分なら「出なかった。ま、いいけどね」と答えると思う、とコメントした。
ここからが次女との会話
私「親に気を使っちゃヤバいよね。思いやりを持つのと気を使うのは違うからなー」
次女「どう違うの?」
私「気を使うっていうのは、顔色を伺うって事じゃない?家で気を使ってたら疲れるでしょ」
次女「だったらさー、断った時不機嫌にならないで欲しいよね。」
私「がっかりするんだから、フクれたってキレたっていいじゃん!」
次女「キレられたら次から気を使うじゃん!」
爆笑
次女の言う通りですよね?
実際私は、善かれと思って子どもたちにした事が歓迎されないとシオれるんですよ。スネたりね。
大人げなさすぎ。
ロクな親じゃない。
一方子どもたちも、平気で「嫌だ」と言う。
でも、私が3個提案したら、面倒でも1個は付き合ってくれる事も知っている。
それが多分思いやりなのだろうな。
相手の立場になって考えて、譲れるところは譲る。
いつもいつも、提案した事全てが「いいねー!」とはならない事もお互いにわかっている。
子どもたちの好きなモノを、私が素敵だと思えなければ、「ダサっ」と言う。
子どもたちは「ディスるのやめてくれない!?」とフクれている。
ディスるな、と何度言われても私も気遣って「ステキね」とは言わないし、でも(私的に)ダサい服を買うことを阻止もしない。
そこは当然ながら諦めている。
親を気遣って「欲しいの出たよ」と答える3人のことも美しいと思う。
でも、私が好きなのは「出なかった。ま、いいけどね」と答えられるメンタルだし、そういう関係だ。
人生は全て思い通りにならないし
当然起こる、自分がコントロール出来ない事一喜一憂にはしないで諦めてているし
結果が全てではないし
期待通りにならない事で、相手の行為が無になるわけではないし
それは、相手のせいでも自分のせいでもないし
欲しいカードが出ても出なくても、その事で自分自身の幸せも、価値も、もちろん相手自身の価値も、お互いの関係も変わらない。
彼は、そういう思いを確認し、そして相手にも知らせるために「ま、いいけどね」と付け足すのだろう。
「ま、いいけどね」と言ってくれたら
相手も彼はOKなのだとわかるから。
それが相手に対する思いやりなんじゃないかと思う。
気遣いは美しい。
思いやりの一種だとも思う。
でもこの場合、決定的な違いがあるとすれば
気遣いは恐怖や不安からきていて
自分の心身を擦り減らす
人間だもの
擦り減らせる余力がある時は
気遣って気疲れしてみてもいい
でも、ずっと恐怖からリアクションを決めていると
余力が残らないから思いやりが持てない。
譲れば済むところも譲れなくなる。
思いやりって
余力がないと持てないのかもね。
相手が期待通りのリアクションを返してくれなかったら、私はまたムクれたり、シオれたりするだろう。
大人げないから。
せめて
思いやりを持てるように、不安や恐怖で物事を決めないように、自分を擦り減らす気遣いばかりで生きないように気をつけるようにしよーっと。
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