こんにちは。


きょうは<ヨガとは:その3>です。


十数年前、上の娘が小さい頃に仕事を頑張りすぎて胃に穴があき、会社に行けなくなり、不眠症になった私。その後どうなったか、というお話です。


毎晩眠れず、「ウィスキーをストローで飲んで無理やり酔っぱらって強引に寝る」という生活を続けながら、本当にいろいろなことを考えました。考えすぎたから眠れなかったんですが(笑


一番考えたのは、コレ。


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「自分にはもうここにいる価値がなくなってしまったのではないか?」


「家事もできない」

「仕事もできない」

「子どもたちと遊ぶことも、保育園の送り迎えさえできない」

「夫にも何もしてあげられない」


「できない」というだけならまだいいのですが、その時の私はもっとひどいと思っていました。


「家事を夫にやってもらわなければならない」

「仕事は他の人にやってもらわなければならない」

などなど…


ゼロならまだいいのですがマイナス!


マイナスはいやだなぁ。。。。。。「まだ若いのに、人の世話にならないと生きていけないなんて最悪だ!」と思った私。最低限、ここで暮らして迷惑をかけ続けるのはやめなくては!と思い、夫と娘に相談しました。


「離婚して、家を出ようと思う」


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今思うと、たかだか病気で会社に行けなくなったくらいで離婚しなくてもいいだろう!と思いますが、その当時は必死でした。私が必死の形相で離婚を切り出したら、ダンナは普通の顔をしてこう言いました。


「なんで?」


あれ????と思った私。


「だってね、私ここにいると迷惑で邪魔なんじゃないかなって…」

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するとダンナは


「どうして???」


あれあれあれ???うちのダンナ、基本的におおらかでのほほんとした人だからわかってないんだなぁ。私はもっと深く考えたのよ!っと思って、文字通り「寝ずに考えた」結論をぶつけてみました。


「だって、私ここにいても迷惑ばかりで役に立ってないもん!




すると旦那は「のほほ~ん」としながらこういいました。


「別に役に立たなくていいじゃん」


およよ!!!そうなの?


「そんなことどうでもいいからゆっくり休みなよ」


とさらっと言って、おしまい。なんてあっけないんでしょう!





でもでも、私も頑固なので食い下がりました。


「だって、私がずっとこのままだったらみんな困るでしょ?」


すると


「というか、いるだけでいいんだよ」


んんんんんん??? どうして?????


その時、これまでの数日間の周りの人たちの反応を思い出しました。会社の方には「とりあえず落ち着いたら戻ってきて~」と言われ友人たちには「落ち着いたら飲みに行こうね!」と言われ娘にいたっては「ママ寝てるけど家にいるからうれしい」とまで言われました。それでもまだ不安だった私、友人たちに聞いてみました。


「私がもしこのまま具合が悪くてもいいの?」


みんな、にこにこしてこう言いました。


「もちろん!」


なんで?」


するとこう言われました。


「だって、友達だから♪」


あれ、そんなんでいいのね?当然、娘にも聞いてみました。


「ママが病気でも好き?」


「うん!」


「なんで??」


「だって、ママだから」


なるほど。さすがに会社には「私が働かなくてもいいですか?」とは聞けませんでしたが(笑

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ここまできて、私もようやく気がつきました。それは


「なにもなくていいんだなぁ」

「そのままでいいんだなぁ」


ということ。ゼロを発見したインド人はすごい!って思いますが


「ゼロが素晴らしい!!」ってことに気がついたところが、インド人のさらにすごいところだと思います。さすが、ヨガの国!


そして、そのままですでにOKなんだから、そのあと何かをやってプラスになろうが、逆にマイナスになろうが「どっちでもいい」ということです。


プラスになりすぎて困ったら、持っているものを「手放せば」いいだけだし、マイナスになりすぎて困ったら、「助けを求めて心を開けば」いいだけです。


こうやってみんな、支えあって調和しながら生きている。元々ずっとそうだったのに、私はそれを知らなかった。


ただそれだけです。


ここでやっと「ヨガとは何か?」という話に戻りますが、そもそも「馬と人間と社会が繋がる」


ということ以前に、


「馬がここにいること」

「人間がここにいること」

「社会があること」


が、まず素晴らしい。そして、このものすごく重要なことに


気がつくための「カギ」が「繋がる」ということなのです。


私が「そのままでいいんだな」って思えたのは私の周りの人たちが「私に伝えてくれた」からに他ならずこれが「幸せ」ということなのです。


最初は「幸せになるために繋がる」と書きましたが、「繋がることで幸せに気がつく」ということもあるのです。「自分がいる」ということ、「自分の周りにだれかがいる」ということだけでもう十分幸せだということです。要するに私は最初からずーっと幸せだったのに、自分だけ知らなかった。そして周りの人たちがそれを伝えてくれた。と、こういうことになるわけです。(ちょっとだけ池上彰さん風に言ってみました)


みんなのおかげで原点に戻ることができた私はその後、うそみたいに具合が良くなりました。「あの時具合が悪そうにしていたのは実は芝居だったんでは?」と疑われないように、ちょっと仮病をつかったくらいです(汗

そして、「そのままでいいんだ」ということで満足した私ですが「どうせそのままでいいなら、何かやりたい!」


そう思い始めました。現金なヤツですね~♪だって、人間って欲のかたまりですから!


そう思って、色々な職業を試した結果、今の職業にありつきました。今はこれが天職だと信じて疑いません。ありがたいことです!


でももし万が一、また何もないゼロの状態に戻ったとしても同じように一から何かをはじめればいいんだなと思っています。


だから、勇気を持ってやってみたいことにチャレンジできるわけです。いったん落ちるところまで落ちるのも(といっても、そう大げさなものではありませんが)悪くないですね♪



最後までこんな身の上話を読んでいただきありがとうございました。


※続きはこちら→両方が幸せなバランスポイントとは? <ヨガとは:その4>