みなさん
とてもとってもご無沙汰をいたしております。

仕事に習い事に読書に、月曜日かと思うともう土曜日?といった生活に忙しくはあるものの充実している反面、毎日、ブログの更新をしなくては…と思い 駆られています。

いつものように冒頭ではニュースな話題をしようとも思いましたが、今日は前回にお伝えしていました、仏教と神道の違いについて、長文とはいえ大変解りやすくよい文章がありましたのでお話しします。
本文が長いですので、それこれしてるとついつい長くなりますので、この辺で本編に入りたいと思います。

みなさまに紹介したい一文に出逢いました。

まるまる文章を打ち込みます。
気が遠くなりそうですが頑張りますのでどうか最後までお付き合いください。




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京都大学こころの未来研究センター教授 鎌田東二氏
SanghaJAPAN vo.14 の中から


仏教には明確な教義、例えば「三法印」や「四諦」、「八正道」、「十二縁起」などは仏教の要諦とも根本教義とも言えるであろう。更には、これら釈迦仏教や初期仏教の教説を基盤として、大乗仏教の中観派や唯識派の存在論や認識論が生まれ、さらには密教の真言や曼荼羅の思想と実践(修法)体系も編み出されてくる。

そのような意味では、仏教とは、教義の飽くなきイノベーションに多大なる精力を注入してきた、思索と実践の総体であるということができる。

それに比べて、神道の教義などというものは、あるかなきかも定かではない風前のともしびのようなものであるが、しかしそのあるかなきかのあえなか「滞在意識」性が、実にしぶとい生命力を以て日本文化の芯のようなものとして生き続けていることを、ラフカディオ・ハーンは次のような逆説的な言葉で讃美した。



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「仏教には万巻に及ぶ教理と、深遠な哲学と、海のように広大な文学がある。

神道には哲学はない。体系的な倫理も、抽象的な教理もない。しかし、

そのまさしく「ない」ことによって、西洋の宗教思想の侵略に対抗できた。

東洋のいかなる信仰もなし得なかったことである」

(『神々の国の首都』小泉八雲著、平川祐弘編、講談社学術文庫) と。
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 これはしかし、神道にとっては、うれしいような、かなしいような指摘である。

「ない」ことによってプレゼンスを高めることができたという逆説的な存在形態は、つねに、

「ある」何ものかにとの対応・対決・対峙の中でしか、その存在感を確認できないような

「何ものか」であり、それを明示的に掴むことも示すこともできないからである。

そのような不明性を存在根拠とするような「宗教文化(形態)」をこれから先どのようにして

継承していくことができるのか。

現在は、継承し存続させていくためにはその存在理由を自覚しなければ

ならない時代になっている。

何事にも意味や価値や成果を求める時代だ。

たとえば、世界自然遺産とか世界文化遺産とか、

要文化財とか重要無形民俗文化財とか、地域の絆であるとか、さまざまな形で。

そうした中で、みずからのレーデン・デートルを少しでも自前の言葉で

アピールする必要にかられている。

今は、そのような時代状況の中にある。

だが、遡ってみるに、神道がそれ自体で、明示的な構造を持っていないかのように

見えることは、「神道」の語の初出の状況に垣間見える。


というのも、「神道」という語が最初に登場してくるのが、「仏法」との対比の通してであったからだ。
すなわち、「神道」の語は『日本書紀』用明天皇(第三十一代天皇。?~五八七、在位五八~八七。鉄明天皇の第四皇子。聖徳太子の父)の条に「信仏法、尊神道」と初出し、さらには孝徳天皇(第三十六代天皇。五六七~六五四、在位六四五~五四)記に「尊仏法、軽神道」と出てくる。
ここに、最初の神道と仏教との差異の意識が出ているといえよるだろう。つまり、「仏法」とは「法」という教えの体系であるから、それを信じるか信じないか、信不信をはっきりと表すことがてきる。しかし、「神道」はそのような「法」を持たずら教えの体系ではないから信不信ではなく、「尊」か「軽(不敬)」の対象でしかない。つまりそれは、古来維持されてきた先祖伝来の伝承の集積だから、それを大事にするか大事にしないか、敬うか敬わないかという二つの態度しかない。信じるとか信じないとかというように、はっきりとその対象の真偽性事分けることはできないという構えである。
ここで、「教えの体系としての仏法(仏教)」と「伝承の集積としての神道」との違いがはっきりと出ている。
それから六〇年が経って「仏法」がある程度定着してくると、今度はその「仏法」も新しいとはいえ一つの伝統となるから「尊(敬)」するかしないか「軽(不敬)」という態度で接することができる。
孝徳天皇は「仏法」を尊び、「神道」を軽んじた。では、どのような態度が「神道」を軽んじることであったかといつと、それは摂津国の生国魂杜の樹を伐ることが「軽神道」に当たるというのであった。
神木とされているような樹を大事にしない態度、それが「軽神道」のしわざであるという認識がここにはある。
このような「仏法」と「神道」に対する認識の違いを踏まえて、わたしも恩師の小野祖教にならって、あるかなきか明確ではない「神道の滞在教義」を次のように示してみたい。
神道は明確な教義はないが、しかしいろいろな形に現れている。その「表現(あらわれ)としての神道」を「神道の滞在行政」として、次の七つよ特性からいちづけてみたい。
①「場」の宗教としての神道
②「道」の宗教としての神道
③「美」の宗教としての神道
④「祭」の宗教としての神道
⑤「技」の宗教としての神道
⑥「詩」の宗教としての神道
⑦「生態智」としての神道
以上の七つよ特性である。
「神道」は、まぶ何よりも「場」として、「場所」としてある、「空間が詩学」である。つまり、森(杜)の詩学として、斎庭(ゆにわ)の幾何学として、せいちのトポロジーとして、場所の記憶(メモリー)と記録(ドキュメント)として、明白に存在し、存在し続けてきた。それが、「神社」である。「鎮守の盛り上がっ」である。「トトロの森」である。
それは確かに、明示的な教えの体系ではないが、実に様式的な、明確な形を持った「道=生の歩み方(ライフスタイル)」の生活実践であり、いのちと暮らしのかまえであった。
そのようないのちの道の伝承文化として、「神社」の中に、「神社」を通してら「神社という場」とともに「神道」は生きていた。
そのような「場」や「道」にあっては、何よりも清々しさ、洗浄感や、もののあはれや、気配の感覚が大切にされた。多くの神社人や神道家は、神道で一番大事なのは「掃除」だという。
(★)一にも掃除、二にも掃除、三にも四にも掃除。
掃除こそが神道の精神であるという表現には、そこに姓名の原初形態、純粋始源を讚美しいつくしむ心と感覚がある。
奥吉野山中に鎮座する天河大辨財天社の柿坂神酒之祐宮司は、それを「ふとま」に、といった。ふつう、「太占(ふとまに)」とは、古代のト占いのことを指す。しかし、柿坂宮司は、それは「うらない」のような吉凶判断ではなく、「ふと」そのま「まに」、ものごとが立ち現れてくる、その「ふと・そのまま・に」立ち現れてくる出来事や現象をそのまま受け取って対処していくこと、それが「ふとまに」てあり、それは「掃除」をすることによって、立ち現われ、受け取られるのだろう。だからすべてが、「掃除」を基礎とし、基盤としている。
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みなさん

長くなりましたが、読んで頂けましたでしょうか。

集中出来なかった方は、今一度、またはリラックスしておられる時にもう一度、読み返して頂ければと思います。


この一文は、サンガジャパンVol14の始めの文章の一部でした。

宮島の厳島神社の神職の方々の波動や言行動に疑問を感じ、拾ったゴミを快く受け取ってくださらない商店街の方々に悲しいかなと思いながら何ヵ月が経った今、奥吉野山 天河大辨財天社に行けば真実をまた一つ、確信と、希望と、本当の人間の未来を見つけられるのではないかと思う今日この頃であります。

もう宮島へは行きたくないな…
もうあまり、かなしい人たちの姿を見たくないし、感じたくないし、そのような言行動で接してもらいたくもないな…

何度、そう思ったかしれませんが、だからと言って止めることはしませんのが私です。
(★)を付けたところからの文章には共感しやはり本当の意味においての姿勢、あるべき人類の姿を確信しました。

この一文が真実ならばそれを胸に、しばらくは気力を奮い立たせ私も今日をあしたを歩むのみでしょう。

※宮島へもう行きたくないな…と、本音ではありますが、この事について「大丈夫ですか?」とか「だから7月は行かなかったんですか?」とか「あまり無理をしないように」とかというような返信に時間を取られるだけの無意味なメールやコメントはなさらないでくださいね。
私はそんなレベルにはおりませんので。
本音はそうでも、それで終わりにしない。それがヒューマニズムですからね。


しばらく振りの放送となりましたが、今回も最後まで聞いてくださりありがとうございます。


まだまだ暑い日が続くようですがしっかり自己管理をし
夏の香りを感じてこの大自然にありがとう!!って今日もリアルに生きましょうね(^_-)


次回は夏にも秋にもぴったりの手作り天然オーガニックサイダーをご紹介させてくださいねきら6マルキラ☆










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