現在、母が遊びにきてくれてます。



昔は、本当に仲悪かったけど、今は産んでくれて感謝しかない…!




たぶん、内面と外側のつながりを1番感じたのは、母との関係を改善したからだと思う。




それまでは、嫌なことあればケンカケンカで。

どちらかというと、当たり散らしていたんだけど、

半年ぐらいかけて自分と向き合った結果、



ぜーんぶ愛だった❤️



ことを知った。



今でもお小言はもらう。

喧嘩もするけど、それは「愛ゆえのコミュニケーション」だと知っているので、全く気にならなくなりました♡



そうすると、


「私にとってはあなたが幸せなのが1番」

「何かあったらできる範囲で手伝う」


などなどが当たり前のように会話に出てくるようになりました。



私も「いつもありがとう♡」とかるーくLINEで送れるように。



ゆうみさんが、ここにも書いてくれているけど、



お金があっても

あるなりの心配事を見つけてくる


=心配していたい



↑まさにこれだと思う。



そして、私はその気持ちの根っこが愛だということを受け入れがたかった。



親の愛を受け取ってしまうと負けだと思っていたから。



小さい頃、親が離婚した時、とても悲しかった。

もう、感情が動かないぐらい麻痺してたんだと思う。



あの、冬の日に祖母の家で電話が鳴った。


お正月明けで冬休み。

ドカ雪だったけど、家の中はぽかぽかに温かった部屋で、祖母は家電でヒソヒソと話してた。



なぜだか「あの電話は悪いこと」だとわかってた。


だから、電話を切った祖母がポツリと

「もう、これでお父さんは家に帰ってこなくなるよ」と、言った時も全部わかってた気がしてた。



たぶん、あのあたりからゆっくりと自分の気持ちを感じなくしようとしていたんだと思う。



頭で考えるよりも

心で受け止める方が得意だった子供時代。



暴れた自分の「寂しい」を「理詰め」で我慢する練習ばかりするようになっていた。





その結果、積もり積もってこじれた感情が母に向いたんだと思う。



私がこんなに傷ついたのは、親のせいだから!



こうやって、誰かを悪者にすることで自分のバランスを取っていたんだと思う。



だから、親の行動全てが愛と言われても、

すぐに脳みそが拒否した。



そんなわけはない。



だって、傷ついた自分が無駄になるじゃん!!



こんなに、傷ついた自分の役割をやめたら、舞台から降りなきゃダメじゃん!



せっかく長い時間かけて作り上げたものなのに!


認めたら!負けちゃうじゃん!!










負けてもいいやん…



そうなのだ。



負けてもいいのだ。

母の愛に。

好みじゃない形だとしても、

八つ当たりしても包み込んでくれて、

関わってくれたその愛に。




負けてもいい

負けてもいい

負けてもいい



最初の頃はぶつかりかけることがあるたびに、つぶやいていた。

何度も何度もつぶやいた。



それは、負けじゃなかった。



頭で考えるスケールを遥かに超えた展開の愛があったから。



私ができることは、



ただただ、降参すること。

イメージしていた幸せとは全く違っても、その先の横たわってるものに身を寄せていく。




最近、新しいことにチャレンジするが「怖い」と思っていたけど、

「新しいプールに足を入れる」に設定変更をした。



怖いのではなく、

冷たい、

今の体に合わない。



だけど、入ってしまえば心地よい。



この設定変更ができたのは、母との経験のおかげ。



やはり、母は偉大。