人間は誰でもウソをつきますが、まれにそのウソが病的な段階に達している人がいます。哲学者の中島義道さんは、ヒトラーを例にあげてこう述べています。


   例えば、ヒトラーのウソは、通常の「ウソつき」の枠を大きく越えていて、病的で不気味な様相を呈している。

   彼はいたるところで、ごく自然にウソをついた。実科学校を退学したのは、本当は成績不振のためであったが、重い肺結核にかかっていたためだとウソをついた。兵役拒否のためにミュンヘンに逃れて捕まったときは、兵役の手続きを知らなかったとウソをついた。そして、ウィーンで同居していたクビツェクに対しても、造形美術アカデミーに不合格であったのに、合格したとウソをつき続けた。彼は、いつでもすぐばれるウソをついて平然としているのだ。

(『ウソつきの構造』角川新書)


そして別の著書でもこう述べる。


   彼にとっては(とりわけ目撃者と証拠のないところでは)、「そうありたい」と願ったことが、そのまま真実なのだ。それは、自分でも本当にそうであったと思い込めるほど「自信に満ちた」嘘なのであるから、他人はあっさり騙されてしまうのだ。

(『ヒトラーのウィーン』ちくま文庫)



現在、安倍前首相のウソが話題となっていますが、彼も「いつでもすぐばれるウソをついて平然として」います。

彼は自分の立場を守るためには、「目撃者と証拠のないところでは」真顔でウソをついて恥じません。

そんな「ウソつき」の安倍さんも、他人から「ウソつき」呼ばわりされると怒るようです。

安倍さんは国会の予算委員会で質問に立った野党議員に対して「私をウソつきと言ったことは許せない!」と反論していました。

ウソを平然とつく人でも、「ウソつき」と言われると、それを非難として受けとるようです。

ウソをつくことは悪いことだとわかってはいるのですね。なんとも滑稽です。