「価値観の多様化」ということが、もうずいぶん前から言われながら、この日本では仕事よりも家族や遊びを優先させる人は非難されがちです。
逆に仕事をどんなことよりも優先して、そのために親の死に目に会えなかったとしても、それを強く非難する人はあまりいません。むしろ称賛されたりします。
多くの日本の職場では、仕事最優先といった価値観がまだまだ絶対的なものとして君臨してのです。
「脱社畜ブログ」管理人の日野瑛太郎さんは、こうした価値観の刷り込みが小学校の教育の時点ですでに始まっていると指摘しています。
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「将来の夢=将来なりたい職業」っておかしくない?
小学校では、よく「将来の夢」について作文を書かされます。
ここでいう「将来の夢」というのは、「将来なりたい職業」を指すという暗黙の了解があります。
「パイロットになりたい」とか「美容師になりたい」といったような、具体的な職業を書けば教師は褒めてくれますが、「毎日ゴロゴロ寝て暮らしたい」とか、「かわいい女の子にちやほやされたい」というようなことを書こうとすると、注意されたり書き直しを命じられたりします。
実際には、「毎日ゴロゴロ寝て暮らす」というのも、「かわいい女の子にちやほやされる」というのも、「将来の夢」であることには変わりありません。
こういう夢を掲げてそのためにできることを考えるというのも、立派な自己実現だと僕は思うのですが、どうも学校教育では「将来の夢」は仕事を通じて実現しなければいけないことになっているようです。
「やりがい」のある仕事についてそこで自己実現をすることだけが、小学校の職業教育で許されている唯一の姿勢なのです。
(日野瑛太郎『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』東洋経済新報社)
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私の子どもの時の将来の夢はまさにこれ(毎日ゴロゴロ寝て暮らしたい)でした。
しかし心の中では強く願いながらも、それを広言することはなかったように思う。やはり親や教師に“忖度”したのですね。
でも現在その夢はかなっているので、まあ幸せな人生と言えるかもしれない。
逆に仕事をどんなことよりも優先して、そのために親の死に目に会えなかったとしても、それを強く非難する人はあまりいません。むしろ称賛されたりします。
多くの日本の職場では、仕事最優先といった価値観がまだまだ絶対的なものとして君臨してのです。
「脱社畜ブログ」管理人の日野瑛太郎さんは、こうした価値観の刷り込みが小学校の教育の時点ですでに始まっていると指摘しています。
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「将来の夢=将来なりたい職業」っておかしくない?
小学校では、よく「将来の夢」について作文を書かされます。
ここでいう「将来の夢」というのは、「将来なりたい職業」を指すという暗黙の了解があります。
「パイロットになりたい」とか「美容師になりたい」といったような、具体的な職業を書けば教師は褒めてくれますが、「毎日ゴロゴロ寝て暮らしたい」とか、「かわいい女の子にちやほやされたい」というようなことを書こうとすると、注意されたり書き直しを命じられたりします。
実際には、「毎日ゴロゴロ寝て暮らす」というのも、「かわいい女の子にちやほやされる」というのも、「将来の夢」であることには変わりありません。
こういう夢を掲げてそのためにできることを考えるというのも、立派な自己実現だと僕は思うのですが、どうも学校教育では「将来の夢」は仕事を通じて実現しなければいけないことになっているようです。
「やりがい」のある仕事についてそこで自己実現をすることだけが、小学校の職業教育で許されている唯一の姿勢なのです。
(日野瑛太郎『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』東洋経済新報社)
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私の子どもの時の将来の夢はまさにこれ(毎日ゴロゴロ寝て暮らしたい)でした。
しかし心の中では強く願いながらも、それを広言することはなかったように思う。やはり親や教師に“忖度”したのですね。
でも現在その夢はかなっているので、まあ幸せな人生と言えるかもしれない。