最近よく思う事があります。

私達は過去・現在・未来の全ての時間軸の上に

生きているんだなぁって。


これ自体はとっくにいろんな方が言ってる話であり、

今に生きる事を「中今に生きる」と言ってる方もいらっしゃいます。


でもなんか、ふとした時にあたりを見回すと、

そういう事がぐぐっと実感として近づいてくるような、

そういう感覚になる事が多々あるんです。




我が家では和歌山から梅干を樽単位で取り寄せてますが、

私、日本の梅干ってすごいなぁと思うんです。


紀州梅はいわずと知れた最高級の梅干ですが、

これが出来るまでには、それまでの農家さんの

計り知れない手間や気持ちが存在していて、

もっと言えば、農家さんが梅ノ木をそうやって大事に育てていられる、

この国土をずっと昔から守って下さった多くの方の力があって、

地域の方々のいろんなご尽力があって、いろんなものが存在しているその上に、

あの梅干が成り立っているんだなって、なんかそんな事を思ったんです。


しかも梅干は保存食なので、

これからしばらくは、我が家が無事に存在する限り、

食料が買いに行けないナニカが起こったとしても、

ちゃんとありがたく頂戴することが出来ます。

そこまでの話でなくても今は夏なので、

これからしばらくの間、塩分補給や疲労回復に

かなり役に立ってくれること間違いなしです。


そして我が家にある梅干が、

またどこかの誰かにちょっとした贈り物として届けられ、

その人が喜んでくれたり、そういうのがあったらいいなとか、

そういう嬉しい未来も作ってくれるんですよね。


で、この梅干をこうやって味わって知ることで、

私の子供にもこういったことを教える事が出来ますし、

子供が将来お母さんになって、こういった長い話はともかく、

自分のパートナーや子供に梅干入りのおにぎりを作ってあげて、

そうやって過去から繋がる未来がどんどん出来上がっていくわけです。


ということは、私達は子供にきちんとそうやって引き継いでいけるよう、

子供が大人になった頃にも安心して食べられる梅おにぎりを作れるよう、

そういう未来を作る義務があると、そういう事にもなるんですけどね。


梅干を食べる「今」の私に、

これだけの過去と未来がセットになってるんだなぁと、

なんとなく、感慨深い気持ちになります。



なんか、いつも当たり前に過ごしているこの「時間」っていうのも、

ものすごくいろんなものが積み重なって出来てるんですね。


そして目の前の散らかった部屋を一旦無視して、

そうして出来上がった今の風景を再度無視することで、

また今日の昼にも散らかりっぱなしのこの部屋が存在することになるわけで・・・・。


とりあえず、ご飯の支度でもしてきますノシ