かなり暗いお話ですので、不快に思われる方は読み飛ばしてくださいショボーン
妊娠に関する内容です。
書こうか迷ったのですが、私も同じ経験をされた方のブログを見て救われたので、記録として残しておこうと思います。










6月の初めに生理が遅れたので、妊娠検査薬を使ったら陽性。
自分の年齢もあるし、そろそろ2学年差で2人目が欲しいと思っていたので、たっくんと2人で喜びました。

生理予定日を1週間過ぎて病院に行くと、胎嚢が確認され、5wくらいとのこと。
3週間後にまた診察して、予定日を決定しましょうと言われました。

2人目も里帰り出産の予定なのですが、今私の両親は一カ月のうち3週間は家にいて、1〜2週間は新潟の祖母のところに行っています。(昨年祖父が亡くなって祖母が1人暮らしになったため)
出産する病院は、妊娠初期に一度診察を受けないと分娩予約ができません。
前回は8wに診察を受けましたが、予約の際に9wだと渋られたので、早めがいいみたいでした。
しかしちょうど8w前後は両親が新潟に行ってしまうため、早すぎるとわかりつつも6wあたりで診察してもらうことに。
胎嚢確認の翌週、実家まで高速を片道3時間運転して帰ってきました。
その診察時は小さな心臓がぴこぴこ動いているのが見え、ほっとしました。
あとは32w頃からこちらで健診を受けるように言われて予約は完了しました。

7月に入り、自宅近くの病院で8w頃に診察を受けると、心臓が動いていませんでした。
初めにエコーに映った赤ちゃんは6wより成長していて、頭と身体らしき形はできていました。
でも先生がエコーを動かして赤ちゃんの端から端まで映した時、かおちゃんの時に見たような力強い心臓の動きがありませんでした。
自分でもあっ、もしかして、と思いましたが、時間をかけてエコーを見た先生に「この時期なら心拍が見えるはずなんですが、確認できません。羊水も通常ならもっと周囲にあるはずなんですが、少ないです。赤ちゃんの成長が止まってしまっています。」と言われました。
静止画のようなエコー画像を見てぼーぜんとしました。
稽留流産との診断で、大きさからつい最近までは成長していたようだと言われました。
母体の年齢が上がるに連れて確率も高くなると知っていたから、ある程度覚悟はしていましたが、やっぱりショックで、でも実感がないまま、すぐに手術の日程を決めました。(ある程度大きくなっていたので、自然に出るのを待つのではなく手術となりました)
その日が月曜日でしたが、同じ週の土曜日に手術が決定しました。
冷たいかもしれないけど、だめならば早く次に進まなきゃと少し焦る気持ちがありました。
手術のための採血があるので待合室に戻り、たっくんにLINEをしました。

帰ってから、そういえば前の日からあのすごい眠気が少し軽くなった気がしてたな〜とぼんやり考えていました。
つわりの気持ち悪さは相変わらずあるのに、もう赤ちゃんの心臓が動いていないなんて、信じられませんでした。
自分を責めるとか、あれをしなければと考えることはなく、悲しくもなくて、私って冷たい人間なのかなーなんて考えていました。

たっくんが帰って来てから病院でのことを報告し、こうなってしまったのはもう仕方ない、前向きにいこうと話し合いました。
こうしてあっさりその日が終わる…。

ところが、夜布団に入っても全然寝付けない。
そしてスマホで稽留流産について調べまくってしまう。
意味はないかもしれないけど、たくさんの人の経験談を読んで、いろんな人がこの経験をしてるんだなと思いました。
大きさが小さめとか言われることもなかったし、一度心臓が動いているのを見てしまっただけに、動かないエコー画像に現実を思い知らされました。
予定日は2月初め頃だろうと言われていたので、もう冬に産まれる赤ちゃんは私のお腹にいないんだなと考えたら、涙が出て来てしまいました。
ただただ、もう冬には産まれないんだということがさみしくて悲しくて、涙が止まりませんでした。
かおちゃんとたっくんの寝息が聞こえる中、しばらく涙を流していました。
2日ほど、夜泣いてなかなか眠れませんでしたが、その後はいつもと変わりなく過ごせるようになりました。
つわり症状も軽くなり、たまにえずく程度。
手術前日も気持ちとしては、「赤ちゃんにさよならして、また来てくれるのを待とう」という感じになりました。