ランドセルを背負って7歳のまみちゃん、タッタッタッタッタァー。



長い廊下の突き当たり。
お母さんとさおりんの待つ部屋までタッタッタッタッタァー。



長い急な階段タッタッタッタッタァー。



景品場でお菓子をパクってタッタッタッタッタァー。



パチンコ玉の流れる音ジャラジャラジャラジャラジャラー。



その上を扇風機目掛けてタッタッタッタッタァー。














今日は朝から祖母の入院している病院まで洗濯物や退院準備に行って来た。



祖母は娘である私の母に来て欲しかったらしい。



年寄の赤ちゃん返り。



だけど、仕事のある母は昼間から祖母の世話に来れるわけもなく



あまりのわがままぶりに祖母に注意してきた。



先週の私の体調もあり、私の母はもう限界。



妹の子供もまだ3才。








今日、祖母に注意していて分かったこと。







私のわがままぶりはあの祖母から来てるかも。笑






お勝手のおばさんや完全看護では満足出来ない。






祖母も愛が欲しいのねドキドキ






いたれりつくせりの生活にあっても孤独はどうしようもない。





介護なんて普通でも大変なのに。






祖母は高度成長期には昼間はヤマザキパンの工場で働き、夕方からは亡き祖父宅の使用人として働き、祖父と結婚し、パチンコ屋の看板娘として景品場を任され、何不自由ない人生だった。






苦労といえば、祖父の女癖の悪さと2号さんの存在ぐらい。






だから、祖母は未だにわがまま三昧。





もともと、使用人から嫁に来たことなどすっかり忘れている。





まぁ、、、今日も言いたい放題だった。





でも、今は時代も年代も違う。





私もベレー帽をかぶりボレロを来て聖歌を歌っていたら日がくれた13歳ではない。





ただでさえ、腰は痛いし喘息なのに介護や祖母の愚痴聞き係をしている体力があるなら週休3日のこの現状を何とかしたい。





まあまあ祖母の話を聞いていたが、最後はキレてしまった。




祖母にとっての本当の淋しさは何でも夢を叶えてくれた魔法の祖父が死んだことだったのかも。



まぁ私も祖父の影を未だにずっと追っている。






さてと、友達と電話して笑ったところでシェリーの3時のご飯やろう。






あ。
ランチだけアップしとくね★





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