最近
ウクライナの事があってから
考えちゃうんですよね…
 


降伏を選ばなかった沖縄戦の惨劇も
悲劇的な側面ですが
シベリア抑留といった
降伏した先に起きた地獄は
もっと知られていいんじゃないかと
 
戦うのをやめたら救われる…
そんな風に思っている人って
意外と多いと思うのですが
そういう人は調べるなりして
知った方がいいと思うんですよね
 
降伏するという選択が
如何に恐ろしいことかというのが
垣間見れると思います
 
 
 
 
戦後に関しては
国内の事ばかり学んでしまって
降伏した結果、命は助かって
キツイ日常が戻ってきて
そこから復興しました〜という認識だと思うんですよね
 
シベリア抑留者の方々が
辛い経験を語りたくなかった…というのもあるけど
沖縄戦のように
日本軍が徹底抗戦したがために起きた側面ばかりが注目されて
それ故に起きた惨劇ばかり注目されて
降伏した事で無抵抗な人々が
一方的に嬲られて悲惨になったことから
目を背けすぎではないかな…と
日本軍だけを憎む対象として
そこで終わらせてきてしまったのでは…と思うのです
 
戦争責任についても
軍が悪いという考えで止まっていて
その背景にある国民の振る舞いや政治家の責任にも
触れる必要があると思うのですが
悪者を1つ作って反省がないのではないかと
 
ナチスに全ての責任を押し付けて
彼らが悪いで済ませてきた
ドイツと同じではないのかと?
 
 
沖縄戦やシベリア抑留に限らず
日本の占領地域で行われた行為や
日中双方の捕虜の扱いといった問題に
どちらかにだけ目を向けたり
臭いものに蓋をして隠してしまうんじゃなくて
正面から向き合わなければ…と思うのです。
 
 
 
批判するにしても
何故それが起きたか?という背景を
考えることを忘れてはいけないですよね
それをしないと
的外れな批判をしたり
問題の解決には
行き着かない結論を出してしまうから
 
 
 
捕虜や占領地域に取り残された民間人が
虐殺されるという事件も起きています
降伏すれば命が助かるという訳ではないんですね
今、ウクライナで起きているように
 
さらにシベリア抑留では
赤化教育という思想統制までされています
これもまた
ウクライナのロシア占領地域でも起きています
 
同じことが何度繰り返すのでしょうか
 
 
 
 
 
 
また抵抗しなければ
抵抗するより犠牲は少ないという話しもありますが
単に命の有無だけで考えてませんか?
生きていても
それまでの全てを奪われる方が大半なんです
生きていた記録も
消されてしまうかもしれないのてす
しかし
抵抗して勝てば
故郷を自分達の手に取り戻せることができるのです
 
 
 
もちろん命を守るのは大切なことです
しかし
生き長らえることで
残りの人生を生き地獄として過ごす
そんな可能性が高いのが
降伏という選択なんですよね
 
日本の敗戦が奇跡の部類というか
米国の占領政策がかなり特異であることを
忘れてはならないと思います
 
 
 
 
欧州においても第二次世界大戦直後のフランスで
対独協力者への報復が熾烈を極めたことを
よく考える必要があると思います
 
占領下で生きるという選択は
命を守る苦しみを受ける事なのです
 
逃げても
いつかは帰る必要があるんですね
人の土地にいつまでも
ぬくぬくと居候できるわけじゃないんです
だってそれは
別の新たな問題を生みだしてしまうから。
 
 
 
 
降伏に関して
じゃ徹底抗戦して玉砕するべきなの?と思われるかもしれませんが
・降伏するにも前提がないといけないよね
・勝手をされないように振る舞う必要があるよね
そういう大前提なことを考えないとね
 
 
 
 
ただ降伏すればいいんじゃないの?
そんな簡単な話しではないということを言いたかっただけで
 
 
また誤解になる要因に
シベリア抑留は割合だけで言えば
比較的生きて帰ってるよね!というのがあるけど
そもそも生還率の話しではないので
 
 
また満州で徹底抗戦したらという話しですが
日本軍は遅滞戦を行っていて
避難民の時間稼ぎをしようとしてはいるんですよね