松村潔先生の『決定版!サビアン占星術』の終わりにあるあれこれを楽しく拝読している。
占星術上でオクターブの法則というものを説明するときの陥穽。360度を8分割したら45度ずつのセミスクエアの刻みになってしまうわけだけれど、そう誤読されかねないような書き方がよくないだろう。これではまったく心地よい「音階」にならない。
平均律は12音。ドレミファソラシドの音階はそこから8つ抜き出したもの。牡羊をルートにしたら、牡羊・双子・獅子・乙女・蠍・山羊・魚・牡羊に対応している。ハ長調の音階はこれで、トニックのトライアドは牡羊・獅子・蠍を「一緒に」鳴らしていることになる。これがいちばんの調和とされている。
牡羊と獅子ならアスペクトはトラインで調和している。でもそこに蠍が入ったら獅子とスクエアでぶつかるのではないか、と、この点だけを見たら駄目なのだ。三者があってこその調和。牡羊と蠍ではそもそもインコンである。妥協を求めるような二者のあいだに獅子が入って調和をもたらす。
一対一の人間関係に第三者が加わり、調和を生み出す。言わば「解決」する。吉本が言う対幻想が共同幻想へと発展する。この三者間の調和関係がトニックコードというわけだ。ドとミ(牡羊と獅子)ドとソ(牡羊と蠍)ミとソ(獅子と蠍)……二者だけを抜いてアスペクトを見たらおかしくなる。
しかしそもそもが、本当にドレミファソラシドは心地よい音階なのだろうか。われわれが日常聴く音楽にはこんなイオニアンスケールばかり使われているわけではない。むしろ違うスケールのほうが主流なのだ。そちらのほうがよっぽど心地よく調和的であるはずである。
そして完全五度とは、どうして単独で調和していると見なされているのか。これは牡羊と蠍のアスペクト、つまりインコン(150度)の関係である。調和とは妥協の産物ではないだろうか。ここに西洋音楽の合理性の限界が見てとれる。
ドミナント・モーションとは、牡羊をルートにした場合、蠍・魚・双子というトライアドから牡羊・獅子・蠍というトライアドへの移行を示している。そもそもがどちらも安定したトライアドではないのにこういう動きが安定とされている。
牡羊・獅子・射手のトラインの関係をトライアドに直すとどうなるか。inCならばCとEとGシャープ、つまりCオーグメントである。一般的に不安定とされる和音なのに、占星術上では安定とされているが、ネイタルにトラインをもっていたらそれを使って次へどう進むかもしばしば問われる。
安定/不安定や調和/不調和というものがどれだけあてにならないか。そしてこれをどのように実占の場にもち込むか。グルジェフが示したオクターブの法則というエソテリックなものを実際のダイナミックな人間関係にどう応用するのか。そこをかんがえるべきだろう。