私なりの解釈のカゴメ歌の話をします。

 「かごめかごめ  かごのなかの鳥は いついつでやる 」



  

  カゴメとはずばり、六芒星です。



  そのなかに鳥がかぶされている。

  それは隠されている意味なのか?

  その鳥(鳳凰)がいつ鳴いて

  出てくるのか?

  カゴメの籠に閉じ込められて

  いるのだろうか?

  閉じ込められていることさえ

  わからないのだろうか?

 

  それが大和民族(アブラハム血統の失われた民族?)

   なのか?

  

  「夜明けの晩に 鶴と亀がすべった」





   

   夜明けの晩にとは日本語として

   成立しません。

   夜明けは夜明けであり、

   晩ではない。

   晩は晩であり、夜明けではない。



   

   菊の御門の真下に

   描かれた半分の世界地図。

    




   日本の位置(群馬県)が夜明けとするなら

   ばイスラエルが晩になる。



   そして、鶴と亀がすべるのすべるは

   統一する統べる。

   

  「後ろの正面だあれ」





   これも日本語として変です。

   この遊戯の鬼である目を隠した子が

   真後ろの人がだれかを当てることです。

   しかし、後ろの人の正面は結局自分では

   ないでしょうか?

   要は。。。自分のことになります。

   それは、二つの民族が同一であるという

   意味ではないでしょうか?

   五千円の下に隠されたプロビデンスの目。

   カゴメ歌の遊戯の鬼が目を隠している

   ところも同じではないでしょうか?







なおかつ、菊の御門を真っ二つに

下奥に目を配置するデザインは

明らかに日本を裏から見ているよと

いうメッセージにしか私には

思えませんでした。






しかし。。。


  




その7に続く。