市役所は安波山を背にしている。裏手にも登山口がある。
歩いて行くと、BRT―バス代行輸送。廃線になった鉄道の軌道を一部利用している―の専用道の向こうにカモシカの親子連れがいた。
カモシカ親子に手を振って帰途につくと、ネコもいた♪
チャーリー・パーカーについて聞き書きでは「バード」、当方自身の話の中では「パーカー」と呼んでいます。ときどきはパーカー自身が語ったりもしますが、ご容赦を♪
明治42年建造の市役所第二庁舎側面。建築に詳しい知人によれば、この外壁は杉板の南京下見張りと呼ばれるものらしい。
安波山(あんばさん)を背にして、素晴らしい佇まいだ。この画像を見た都会に住む友人は「青い山脈の舞台のようだ」と。
くり返すが、立派に機能している現役の庁舎である。あの震災での建物被害の大半は津波によるものだった。地震で倒壊した建物はほとんどない。地盤が固い上に、現在の耐震基準は満たしていなくとも、手抜き工事というような言葉のない時代に真っ当な職人によって作られた建物は、堅牢堅固なのだ。
内湾の昔ながらの佇まいは、津波で消滅した。明治42年からこの地に在り続けるこの建物を、ぼくは誇らしく思う。これこそ、文化だ。
東京生まれのぼくにとって、子供の頃から銀座は特別な街だった。一年に一回くらいは行っただろうか。よそ行きの服を着て、母に連れられイナカの子供が都会へ行くように、少し緊張しながら電車に乗った。広い道路を行き交う車、見上げるとめまいがするような高いビル、何を売っているのか分からないお洒落な店、テーブルマナーが要求される高級なレストラン。暮らしていた町には絶対にないものが、行き交う人の圧倒的な多さとともに、銀座には溢れていた。その銀座を舞台に、著者が身を投じた1960年代、黎明期のデザイン業界を描いたこの本、読んでいてワクワクした。かつての漫画家たちが綴ったトキワ荘日記を読んでいるようだった。そして、言うまでもないが、文章が素晴らしい。なんか面白い本はないかなー、と思っている方に、ぜひお薦めする♪
熊本県天草生まれの著者が、幼い頃より親しんできた風土に根ざした食の数々を案内してくれる、表紙のままにとても可愛らしい本なのだが、世に多くある「食」のそれとは趣が異なり、読み進むうちに言いようのない寂寥感がじわじわと沁みてくる。
著者は「食生活に限らず、文化というものは、野蛮さの仮面にすぎないことも多くある」と言う。野菜であれ魚であれ肉であれ、生きるためにそれを料って食べるのは、野蛮な行為だ。そうして繋ぐ「生」の果てには約束された「死」が訪れる。筆者はその厳然とした事実を見据えた上で、色とりどりの料理を手ずからこしらえながら、それにまつわる人たちの思い出を、弔うように書き綴っている。
料理は「勘」であり、勘は知恵に支えられている。そして知恵は伝承の集積である。この本を料理書として読むのであれば、学ぶべきはそこに尽きる。この一冊が、凡百のレシピ本に勝る♪