今日の使音さんとの

ライブ配信で、

 

 

 

 

私は、

「死と再生」の

冥王星を使ってる。

 

 

という話が出ました。

 

そうそうそう!と、

頷くことばかりだったのだけど、

 

 

私の判断基準には、

「死」が確かにあります。

 


 

私は12年前に手術と入院をしました。

 

その前夜に、

「怖い!」と泣いて、

当日全身麻酔が効く直前まで、

泣いていました。

 

 

自分の人生は、

こんなはずじゃなかったと。

 

実際は死んではいないけど、

あの日一回私は死んだんだと思う。

 


 

それまでの生き方も、

それまでの私も、一回死んで、

もう一度生まれ直して今がある。

 

 

だからかもしれないけど、

「人は必ず死ぬ」ということと、

「それは明日かもしれないんだ」

という感覚は身体が覚えていて、

 

だから、迷った時は、

 

「今日が人生最後の日だとしたら」

「明日死ぬとしたら」

 

そう自分に問い掛けると、

”あの日”の人生への執着が蘇って

目が覚めるんですよね。

 

 

「何のために生まれたんだ?」

「何のために生きてるんだ?」

 

 

その問いの答えは、

自分が見つけるしかないし、

それを見つけたいのなら、

「何となく」の雰囲気や、

妥協から身を引くことだと思う。

 

 

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使音さんと撮ったこの写真に写る私は、

心に迷いがあったように思う。

 

 

2015年に誕生した

子宮推命の基礎が形になって、

子宮推命講師が全国に200人を

超えた頃だったんじゃないかな。

 

 

「で、これからどうしたいんだろう。」

 

 

子宮推命を引っ提げて

4年間本気で走り続けてきて、

はたと止まった瞬間だった。

 

 

この時で年商は

9000万ほどだったと思う。

 

庭付きの大きな一軒家を

都内で借りたばかりで、

仕事は順調、プライベートも幸せ、

家族旅行で高級旅館に行って、

そうしていたらまたお金を稼げちゃう。

 

最高の眺めじゃないか。

良い人生じゃないか。

 

そう思う自分の内側に、

迷いが生まれた。

 

 

「このまま死んでいいのか?」

 

 

そんな疑問が、

2019年12月23日の上の写真に

写る私の腹の奥にはあった。

 

 

そんな私の疑問の奥には、

人生への執着がある。

 

「生きたい」という気持ちで

生まれ直した私の生への欲求と、

壱岐島のエネルギーが

翌日のクリスマスに重なって、

 

それから4年間、

また本気で走り続けることになった(笑)

 

 

偶然このタイミングで、

使音さんとインスタライブすることになって、

 

壱岐島リトリートハウスマノアが始まる前の

空白の日に撮った写真を使音さんが出してきて、

 

「私は2019年のクリスマスに、

全く違う世界線に移動したんだ」

 

と気付く。

 

 

面白いよね〜!!

 

 

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だってこの日の私は、

今の未来のことなんて

全く予想してなかったんだよ!

 

きっとこのまま、

進んでいくと思ってた。

 

でもこの時の私にとって、

もうつまらなくなっていたんだ。

 

ある程度のことはもう分かってたし、

先の流れも読めちゃうし、

本気にならずとも生きていられる。

 

 

でもそのために

私は一回死んだのか?

 

本気にならずとも生きていられる、

つまらない人生を送るために、

生き直したっていうのか?

 

 

絶対そんなわけないんだ。

 

 

もし楽して生きたいのであれば、

私はとっくに死んでるよ。

 

 

私は大変な人生を送りたい。

 

 

だけどその”大変”というのは、

辛いとか苦労であることではなくて、

 

誠の人生。

大いなる人生。

 

登山のように、

大変さを乗り越えたからこそ

出会える絶景と感動。

 

そういったことをたくさん経験して、

あーいい人生だったと思って死にたい。

 

 

そんな夢を叶えるために、

今日も生きています。

 




假屋舞