1月 カラフルデイズリリース、空を眺めて過ごすことが多くなる、ラブライバーになる



2月 初の台湾遠征、某台湾の有名な占い師にデキ婚すると言われる、一人修学旅行、屋久島へ行く、嗣永桃子さんに影響されてキャラを大幅に変えてみる、病的にストイックになってくる



3月 初めて吉田豪さんに会う、アイドルフェスで号泣、初の休演、ストレスか副作用か知らんが激太り、とある映画の撮影をする



4月 LinQ三周年ライブ、専門学校へ入学する、意欲がなくなる、初の休業、しかし2ちゃんで一切触れられない、精神科にて鬱病と判明



5月 めちゃイケが楽しくて生きようと思った、休業復活



6月 少しずつ意欲が戻ってくる、なんとなくmissiDを受けてみることにする、初のバラエティ番組に出る、NARUTO再熱



7月 missiD書類通過する、ガラッガラの生誕、ナツコイリリース



8月 missiDの投票期間で自暴自棄、ファイナリスト進出、TIF、ウェッサイガッサイpvでおいしくなる、九プロとDDT



9月 missiD佐久間賞受賞、missiDで自信がつく、初の舞台が決まる、稽古中号泣、ウェッサイガッサイリリース



10月 ドラゴンネストスペシャルサポーター決定選手権が始まる、予選通過、舞台ヨルハが終わる、ニコ生を始める



11月 ドラゴンネストスペシャルサポーター決定選手権で優勝、目に見えるほどアンチが増える、日刊スポーツにでかく載る、qty公演



12月 ソロでバリ島へ行く、ドラネス世界大会、約一週間のとある撮影、メンタルが極めて強くなる、紅白公演







そんな感じの一年だった。今年を一文字で表すなら復、と思う。

復活したり克復したから


年中、人に恵まれていた。そして私も人が好きになった。

これは素晴らしい成長だと誇りに思います。



2014年、よい年でした。ありがとうございました。



2015年は伊藤がLinQの入口になりたいと思う。

自分が門になってLinQにどんな形であれ興味を抱いてもらいたい。


自分は正直ファンを付けることに対して貪欲になれないが自分なりに客を楽しませたいとは強く思ってる。

例えばLinQは伊藤が最悪だけど、○○ちゃんって可愛いのな、になったとする。うん、それでいいと思う。

それは自分の中でその人を楽しませたことになっている



2014年前期の私は、アンチを後悔させてファンにさせてやる!!とよく言っていたものだった。


しかしくだらない夢は見なくていいと思った。

結果、無関心。じゃなければなんでもいいと思う。




どんだけ叩かれても自分の意思をしっかり持ってこれからを挑んでいくつもりでいる

結果的に賛否両論でてくると思うけど、いろんな仕事を自分流にこなしたい。



だけど人へのありがたみは忘れたくないな。
客を楽しませる場を作ってくれるのも全て私ではない誰かのおかげだからね





爆弾





今日はみんなでバスに乗ってグリーンランドで年収めライブをした。

高速乗って15分も経たないうちに尿意がしたのは帰り道の出来事だった。



(アカン)

(。。まあどっかのSAに降りた時にトイレ行こう)



しかしなかなかSAに行こうとしないバス。

バスの揺れで膀胱がかすかに痛くなっていた。


この時から冷や汗をかきはじめた。トイレにいきたいと言ってみたかった。

しかし28人も乗せたバスが一人の「トイレに行きたいから下ろしてくれ」なんて贅沢誰が聞き入れてくれるのだというのだ?という結論に至り決死の覚悟で我慢することにした。



私はひたすら尿意と膀胱の痛みを紛らわすために頭を窓にガンガンぶつけてみたり、爪痕をあらゆる部位にぐりぐりと残した。


しかしそんなもので紛らわすことはできなかった。

これを絶望というのだと思った。




(せめて紙コップ。。紙コップがあれば。。)


気付けば頭の中は漏らす方向で考えていた。しかし紙コップがあったとしても28人がぎゅうぎゅうに乗ったバスの中でそんなお粗末はできないとは思った。


しかし頭の中は紙コップでいっぱいであった。

楽ばかりして生きてきた自分に後悔した。



みんなスヤスヤと眠っているバス

高速を降りてもトラップは山ほどあり特に赤信号右折左折に恨みをもったのは初めてだった

祈りのポーズをとりながらうずくまっていたのは伊藤だけだと思う




そして私はなんとか我慢しきって見事スタジオで用を足すことができた。

もし漏らしていたらブログにこのネタを書かないでいるつもりだったから良かった。昇華!





2015年も止まらない伊藤麻希でいます。

来年もよろしくおねがいします