ある日、友人からメールがきました
東日本大震災を受けて、東京で教師として働く彼女の思いが綴られていました
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(略)
辛く苦しい思いをしてる被災地の人たちのために、私は、私の職場は、何にもできてないことが恥ずかしくって…
学校でも義援金は集めたし、毎月の献金は当分東北に行くことにはなったし、
子供たちに文房具と手紙を送る活動もしたし、チャリティにも参加したり、節電もしてる。
でもボランティアや、被災者の直接助けになるようなコトは何もできてなくて…ごめんなさい
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正直、ほっとしました
それはなぜか??
私も局のアナウンサーでニュースを読んでいた時に、このようなモヤモヤを抱えていたからです。
『自分にできることをしよう』
地震発生後、ネット上ではみんながこのような言葉を発していました
でも、正直言うと・・・
【アナウンサーは取材したり、ニュースで伝えて広めることはできても
救えることにはたしてつながっているのだろうか?】
と疑問でした。
発生後1か月ほどは、沿岸部の被災地ではテレビが見られません。
避難所に徐々にもテレビが設置されました。
しかし、何百人に1台、というテレビを自由にチャンネルは変えられません・・・
携帯電話のワンセグでも見られますが
画面が小さいです
これまで自宅で見ていたテレビ番組・・・
子供たちは見たいアニメを我慢して
大人たちもドラマや野球を見たくても我慢です。
(5月なってテレビ事情に変化があるかもしれませんが)
こういったテレビ事情の中でも、もちろん仕事ですから
ニュース担当の日は、集中して心をこめて
「誰か1人でも、このニュースを見て情報が得られたなぁ、と感じますように・・・」
祈るしかありません。
でも放送の中で
「ボランティアの大学生が、ネットを駆使して支援物資調達に大活躍」
「がれきの撤去作業のため、ボランティアが日本中から集まった」
「歌手の○○が避難所でライブ。被災者を激励」
という内容があると
【よかったなぁ・・・】
と思う反面
【私は被災者を直接、救えていないな・・・】
というやり切れない、無力感がありました。
【取材したって、ニュース読んだってあのおじいさんの自宅は戻らない・・・
あの女の子の家族は帰らない・・・】
こんな気持ちです。
すると、仙台の他局アナウンサーも同じことを感じている、と言うのです。
「仕事を辞めて毎日ボランティアしようか、と悩んだ」
「帰宅しても、涙が出て止まらない」
「津波の映像をもう見たくない」
「何もできない自分が嫌だ」
オンエア上は、プロの伝え手として泣きません。
それでも、男女問わずアナウンサーもこのような思いを抱えているんだ、と分かり安心しました。
そうか、みんな一緒か、と。
そんな時にTwitter 上で出会った言葉
≪ お金があるやつは、お金を出せ
力があるやつは、力を出せ
何もない奴は・・・元気を出せ ≫
BY 歌手、松山千春さん
震災直後のラジオで松山さんがこう話して「みんな元気を出せ!」と鼓舞したそうです。
このメッセージを聞いた人がTwitterでつぶやき、瞬く間に広まっていました。
みんなお金も人脈も無いけれど
「元気を出そう!」に共感したのでしょう。
だから、被災地に直接何も出来ずにいる方、自分を責めないでください
今、自分に出来ることを少しずつでよいのですよ。
GWに旅行行って、お金を使えば旅行会社が潤います
東北の日本酒を居酒屋で飲めば、酒造会社が「注文が増えた、よし復興するぞ!」ときっとやる気がでます
コンビニでもらったおつりをそっと募金箱に入れたら、コンビニ会社は被災地にオニギリを支援できるかもしれません
直接何かをしなくても、自分の生活を守ってよいのですよ
サラリーマンが仕事をそっちのけで、沿岸部へボランティアしても
「あいつ仕事にやる気無いな」と、会社に居場所がなくなるだけです
「金銭的、精神的、肉体的に余裕のある人」
「被災地に親しい親戚、知り合い、友達がいる人」
から支援物資を運んだり、提供したり、お手伝いに行けばよいのではないでしょうか。
そう、思えるようになって局アナ時代は「ニュース読み」が「当時の自分に出来ること」でしたので
気持ちが切り替われました。
ニュース勤務に集中できたのです。
そして今は「つなげること」を徐々に始めよう、としています。
必用以上に自分を責めて、思い悩まないでよいと思います。
焦る必要はありません。
あの地震からもうすぐ2カ月、今すぐに!という緊急性のもの・ことは現時点では少ないでしょうし
長期戦が予想されます・・・。
「今すぐ」ではなくて
「今出来ることから、ちょっとずつ・・・」
【被災地のために何かしたい】
そう思っているのならば、焦らず、自分を責めず、じっくり一緒に考えてみましょう
今、何が出来るかを・・・。