素晴らしい学びが得られた日には、つい嬉しくなる。
アッパス・キアロスタミ監督「桜桃の味」や
アスガー・ファルハディ監督「別離」「セールスマン」などの、
錚々たるという言葉だけでは足りないような作品達のサウンドデザインを担当してるイランのデルパック氏(Mohammad Reza Delpak)。
お話というか授業を伺える機会があって、写真を撮っていただいた上にちゃっかり7/28からの特集上映the faceのチラシまで持っていただいた。
8/4から1週間、ロサでレイトショー(20:30〜)で上映される、「触れたつもりで」の西川達郎監督、脚本の川原杏奈さんが間に入っていただき参加が叶った。東京藝大のみなさま横山さん、ありがとうございます。
デルパック氏は言う、
「林檎の形だけでなく、林檎の葉の形まで知って映画を創るべきた」
「監督もカメラマンもすべての領域の知識を入れるべきだ。ドラマの中に、ドラマを足す。僕は役者の発声の勉強をしなければ、音は録れないと思う時がある」
ずっとメモを取る手が止まらなかった。
役者も同じだと思う。
僕が何度かの監督業を通して役者としてすごく学びになったのは、同じ映画の中での違う領域である、監督の仕事が学べたことだった。
監督する際に役に立ったのは役者の演技を学んだ経験だった。
脚本も映像も。
意識してることは各分野でまるで違う。その集合体が映画になるのだ。
イランの演技学校では、必ず「周囲の音」に対して学ぶらしい。
「あなたがどうするかだけでなく、周りの音があなたの演技を形作る。意識を払うように」と学ぶそうだ。
意識の量が多くなると、それがやがて無意識の幅や厚さを生む。それらは全て映画の中に収まる。
見てる方は何が違うのか明確にわからないけど、感覚で「すごいものを見た」ことはわかる。
その差は何か?
それは林檎だけでなく、林檎の葉まで丁寧に描いている時なのかもしれない。
作り手も、演じ手も、全てそうだと思う。
キアロスタミ監督はよくこう言っていたそうだ、
「映画とは新たな現実を作ることだ」
その通りだ。
自分の中のいろんな迷いが吹き飛んだ一言だった。
今日から日常の音に、もっと耳を傾けよう。
金言に溢れた時間。今日の時間に、心からのリスペクトを捧げます。