こんな大仰な書き出しから始めてみたが、早生まれの僕はいつも「27歳です。あ、でも28の年ですね。3月なんで」と言い続けてきたので、27歳が終わるという感慨はそんなにない。
というか、まだ28歳になってなかったっけ、という感じの方が近い。
誕生日といえば子供の頃はクリスマスと同じぐらいワクワクする日だったけれど、大人になると年々興味がうすれていく。
ただ、もうすぐ歳を重ねるのならば、何か筆を取って書いておきたいと思った。書く内容は今書きながら考えている。
日本…いや世界は今、新型のコロナウイルスにパニック状態である。
経済も、心理的なダメージも大きい。日本はこの先どうなるんだろう。
こういう時は自分たちの仕事がこの先もあるだろうかと心配になったりもする。
健全な社会がなければ、映画は誰もみなくなるのではないかと先行きを暗く感じてしまう。価値を払わなくはなりやしないかと。映像は、みんな「家でyoutubeを気楽に見るだけでいいよ。無料だしね」なんてなったりとかして。
自分がしていることも水の泡になるかもしれないと思うと、懸命に時間を過ごしても、雲を掴むような話に思えてくる。
僕はこの先、続けていけるだろうか。
求められていけるのだろうか。
こんな不安を吐露する日には相応しくない日かもしれない、
まずは両親や仕事でお世話になった方をはじめとした周囲への感謝を述べるべきで、いきなりこんな悲観的な書き出しから始めるべきではないのかもしれない。
補足として書くと、27歳の1年を振り返れば本当に素晴らしい仕事に恵まれた。今までにない凄く良い時間を過ごせて来たと実感している。関わってくださった皆様、深くお礼申し上げます。
そこからもっと遡って、子供の頃とかを改めて振り返って考えてみると、僕は映画を好きになり始めて、ようやく世界を知っていったことを思い出した。
まだまだ知らないことだらけだけれど、知らないということを知れるぐらいにはなった。
映画をはじめとした物語はもう一つの人生の窓になる。
自分の実人生は一つしかないが、実人生では叶えられない、もうひとつの人生を体験できる時間だ。
その視点は普段の人生とは違う。
登場人物の視点も、作り手の視点も、全てが僕の目になってくれて、世界を新たに見させてくれる。
世界が更新される。映画を一本見た日には世界の枠が広がり、強固なものになる。そして、柔軟になり目が細かくなる。
それは映画を作る時も同じである。俳優としても監督としても。僕はもう一つの世界(映画)を作ったりその一部になる度に、上に書いたようなことが強烈に起こっていることを感じる。
そうやって少しずつ、地味に地道に、世界を知っていった。
この先も何度も不安に襲われる時があると思う。
でも確かなことは、自分の変化だ。
20歳の頃に北海道を飛び出して上京してきた頃の自分に、感謝したい。
今の自分はあの頃に比べると、少しはマシになったように思える。
もしも映画がなかったら、あの時この仕事を選んでなかったら、どうなってただろう?
そう思うと今にとても満足できる。
もっともっと、そう思える時間をこれからも過ごしていきたい。
27歳の最後にそう思える夜を過ごしたと、僕はここに記録します。
また一年。どんな時間を重ねて行こう。
皆さま今後ともどうぞお付き合いくださいませ。