透けて見えてた〇〇に涙が止まらなかった。 | うおえかおり 子連れ 産後ケア・バランスボール 岐阜,一宮アイビル、岐南町,岩倉市

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産後ケア~バランスボールヨガで産後のココロとカラダをリセット!!

一般社団法人体力メンテナンス協会認定
産後ケア・バランスボールインストラクター
体力指導士のうおえかおりです。

昨日から
私の産後のことを少しずつ
書いております。 

昨日の記事▽

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緊急帝王切開になったこと。
帝王切開に対する引け目?
なんだろう。
そんな気持ちが結構強かったかも。

術後も
とにかく体がしんどくて。


喉もカラカラだったけど、
水分も取れず、
口周りを水に濡らしたコットンで
湿らせてもらうだけ。


24時間続く点滴。
もうこれが煩わしくてね。

息子を抱くのにも
鬱陶しくて。


毎日
ポタポタ落ちてく点滴を
早く終わらないかなぁ。
あ、あと少しでなくなるなー
ってぼーっと見つめてたなぁ。

そして数日後まもなく始まった
授乳やオムツ替えの仕方の指導。

初めて入る授乳室。
そこには他にも同じように出産を終えた
お母さん達が。

そこにいるお母さんたちを見て、
まず私が何を思ったか。



みんな、可愛いパジャマ着てる。


私は術後のまま。
産院で支給された
手術着みたいなパジャマで。

しかもね、お腹を切ってるから
シャワーも4日後しか浴びれなくて。

髪ももうボサボサで、
ネトネトしてて、
シャワーも浴びないから
着替えもしてない。


そんな自分が
とてつもなく、みすぼらしく感じたの。


そして。 
極めつけは。

洗面所で歯磨きして
ふと鏡で自分を見た時。

パジャマから乳首が
透けて見えてた。

産院のパジャマの生地は薄くて、
数日間、
術後のそのままで過ごしてた私は
下着もつけてなかった。

それに気付かないで
産院内を歩き回ってた。

その時
なんかもうあまりの自分の惨めさと
恥ずかしさに
涙が出てきて止まらなかった。


慣れない息子のお世話。
お腹の痛み。
麻酔の後遺症による
起き上がれないほどの頭痛。
それでも全ての痛みを我慢しながら
歩いた。
もっと早く歩いて息子のところに
行けるように。
他の部屋に運ばれる美味しそうな食事。
私の部屋に運ばれるのはお粥だけの
質素な食事。
早く私も美味しいご飯食べたいよ。



何もかもに必死で、
自分のことを鏡で見る余裕もなくて、
なりふり構わずこんなに頑張ってる。

なのになんでこんな
惨めな思いしなきゃいけないんだ。


って、とにかく泣けて泣けて泣いた。


私の産後の不調は
この時から始まってたんだろうな。

産後2年経った今になって
ようやく冷静に見つめられる。

今思えば、
乳首が透けてるのだって
泣くほどのことじゃないんだよ。


気付かんかった!恥ずかしっ!
って思うだけ。

今ならね。


だけど、あの時は
その事がとてつもなく
私を追い詰めた。


産後、多くの人が抱えがちな
被害者意識。

まさに私は
被害者意識の塊だったと思う。

帝王切開に対してもそう。
育児に対してもそう。


〝私はこんなに頑張ってるのに。〟


 そんな気持ちが
常にどこかにあったと思う。


今でも思い出すのは、
術後、部屋に戻ってきた私に

頑張ったね、お疲れ様、ありがとう。

って
旦那さんが言ってくれなかったこと。
手を握ってもくれなかったこと。


だけど、きっとあの時の私は
その言葉自体が欲しかった訳じゃなくて、
なんの心構えもなく
不安なまま帝王切開で出産をして、
立会いも叶わなくて、
不安だった、
寂しかったよ、っていう心に
寄り添って欲しかったんだと思う。

当然その当時は
そんな冷静さもある訳もなく。

旦那さんに
当り散らしてたんだけど。笑

あの時、酷い言葉をぶつけた。
それで旦那さんを傷つけたかも知れない。

いや、傷つけただろうね。笑

だけど、
こうやって隠れてた自分の気持ちに
気付いた今。

あの時はこういう気持ちだった。
本当はこうして欲しかったんだ。
って伝えることが出来て、

旦那さんも分かってくれる。

もし、間違ったことをしてたとしても、
いつだって気付いた時に
きちんと真の気持ちを伝えることが出来れば

その間違いも
ちゃんと生きると思うんだ。



つづく

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