こんばんは。 

やまもとみずき です。



今日はゆんさんのDDラボでした。




私のブログの中には、母との関係や母への思いなどを書き記した記事がいくつかあります。



私ね、母へは嫌悪と憎悪しかなかったから、その話題は可能な限り避けていた。


どうしても避けられない時は、私の生い立ちを知っている人には、憎悪丸出しで話したりしていたから、きっと目はつり上がって鼻息荒く戦闘モードだったんだろうなー。



苦しんで後悔して、私たちに「ごめんなさい」と思いながら還っていけばいい。



そんなことを思っていたけれど、そう思う自分はすごく嫌いだった。



母親を愛さない私。



もうそれだけで、親不孝で人の心を持たない人間になってしまったような気がしていたから。



でもね、今となって思うのは、愛さないのではなく、愛せなかったんだろうな。


受けたキズが大きすぎて、自分の中にある、母への愛を否定していたから。



だってそうじゃない?


自分にこんなキズを負わせた張本人のことを愛してるだなんてことになったら、どうせまた裏切られる事象が起こって、せっかくカサブタになったキズが、また生キズになって血を吹き出すもん。



わざわざ自分に、何度も痛い思いをさせたくない!


だから私は、母への愛を封印して、その代わりに愛だの恋慕だのといった感情とは真逆の、嫌悪と憎悪を抱きしめて生きてきた。



 ☆



母の今を知り、嫌悪も憎悪も消え、愛があったことも思い出せた。



大嫌いではなくなったけれど、今でも嫌いだったところがあった人だという認識は変わらない。



それでもね、母が私を愛していてくれた時が確かにあった。


そのことがわかっただけでも、私はもう十分。



この先、時間を共にすることはないかもしれない。



そう感じてはいるけれど、私は母を愛している。


彼女の課題の中で、母は今も懸命に生きている。


それを理解することができるから。



そして、彼女が私をお腹の中で大切に育んでくれ、この世に送り出してくれた。


送り出したあとも、大切に育ててくれた時間も確かにあった。



母が私を愛してくれていなければ、私はいない。


愛してくれていたからこそ、今ここに私はいる。



そんな話をする私は、とても優しい表情だったそうです。



憎んで恨んで…


半世紀弱、真っ黒な感情と歩いてきたけれど。



どんな感情も、とことん味わい尽くせば終えることができる。



そして感謝できるまでに変えられる。


愛から始まって、途中憎悪も体験したけれど、やっぱり一周まわって愛と感謝に戻った。


そんな感覚。




一抹の寂しさを感じながら、母からの学びを終えたのを実感しています。


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