日本国籍のテロ首謀者を拘束 日本が「イスラム国」組織拡大の温床になったワケ

  • 2016年にダッカで起きたテロの首謀者、日本国籍のオザキを拘束
  • オザキは日本で学び、日本で改宗し、日本で過激化し、組織を拡大していったテロリスト
  • 日本人に囲まれて生活し日本人を敵視する思想を強めていった背景とは・・・
 
↓身柄拘束されたモハメド・サイフラ・オザキ容疑者(右) 写真:立命館アジア太平洋大学HPより
 
5月20日、モハメド・サイフラ・オザキという日本国籍を持つバングラデシュ出身のイスラム国戦闘員がシリアからイラク北部の都市スレイマニーヤにある刑務所に移送された、とメディアが報じた。バングラデシュ当局によると、オザキはシリアにおけるイスラム国最後の拠点バーグーズで拘束されたバングラデシュ人戦闘員9人のうちの1人であり、彼自身は3月15日に投降したとのこと。

日本国籍保持者ということは、オザキは日本人である。ゆえに彼は、「シリアで拘束された初の日本人イスラム国戦闘員」だと言える。

当局筋によると、オザキは2015年に日本人の妻と子供達とともに日本からブルガリア経由でシリア入りしてイスラム国に合流、子供のうち2人は空爆で死亡、7歳、3歳、1歳の3人の子供は生存しているとのこと。
 

オザキの実父によると、オザキはもともとヒンドゥー教徒であり、2002年に日本政府の奨学金で立命館アジア太平洋大学に留学、日本でイスラム教に改宗した後、日本人女性と結婚、日本国籍を取得しモハメド・サイフラ・オザキを名乗るようになったという。その後オザキは立命館大学に就職、2015年にブルガリアに出国した当時は同大学の准教授であった。同大学は翌年、長期無断欠勤を理由にオザキを解雇している。

オザキは2016年にバングラデシュのダッカで発生し、日本人7人を含む24人が殺害されたテロ事件に関与した容疑で、日本でも指名手配されていた。

だが、「イスラム国に資金提供をしていた容疑」といったニュアンスの報道をしていた日本のメディアとは異なり、バングラデシュのメディアは、オザキは同事件に関与したというようなレベルではなく、オザキこそが首謀者であると報道している。

2017年にバングラデシュ紙は、オザキはイスラム国バングラデシュ支部の指導者であり、2016年にイスラム国機関紙『ダービク』でバングラデシュ支部指導者アブーイブラヒーム・ハニーフとしてインタビュー記事が掲載されているのはオザキである、と報じた。同紙は、オザキが指導者に任命されたのは、2015年6月にトルコに行き日本に帰国した後だとしている。同紙はまた、オザキの指導者任命に関与した人物の1人として、オザキの師匠でもある日本人イスラム教徒の実名を挙げてもいる。

 

↓殺害された星邦男さん

 

↓2016年 オザキがバングラデシュ支部指導者アブーイブラヒーム・ハニーフとしてインタビューを受けた『ダービク』の記事

 

バングラデシュ支部の指導者となったオザキはテロ攻撃のための組織作りに着手、実行メンバーをリクルートし、リーダーを指名、2015年9月にはダッカでイタリア人を殺害するという最初の作戦を実行、翌10月にはロングプールで日本人の星邦男さんを殺害、後にイスラム国が犯行声明を出した。同グループが2016年のダッカでのテロ事件の実行組織でもある。

 

オザキのものとされる既出の『ダービク』のインタビューには、不信仰者に対する怒りと憎しみがにじみ出ている。ダッカのテロでも、イスラム教の聖典『コーラン』の第1章を暗唱できた人間は殺さずに逃がし、不信仰者だけを狙い撃ちしたとされる。

日本人は『コーラン』に立脚したイスラム教の論理からすると、不信仰者とカテゴライズされる。日本という異国の地で、日本人に囲まれて暮らし、学び、働いたオザキは、日本の文化や価値観に同化することはなかった。それどころか彼は日本でイスラム教に改宗し、日本人を敵視する思想を強め、テロ部隊を作り上げ、彼らにバングラデシュで日本人を殺害させた。

前例のない深刻な事案と受け止めるべきであろう。