こんにちは。

Manabelleです。

 

合気道を何のためにしているかというと、

それは、初めは全く楽しいから、体力を

つけたいから、ということでした。

 

でも、そのうちに合気道は相手がいないと

できない、つまりは、相手とのコラボレーション

なのだということがわかってきました。

そして、そのコラボレーションの形として、

技の形があり、形にもっていくための

コミュニケーションの形がある。

そういったことを感じながら、学んで

きたのです。

 

技の形の数だけコミュニケーションの

形はある。そして、もっと1つの技の形に

なるためにたくさんの複合的なコミュニケーション

(身体操作、心理操作、合気脳の瞬間的判断、

力のバランス、そこに自分の信念)が

絡まっている。

そして、1つの技ができあがる。

1つの技が、本当に決まったと思う瞬間は、

まるで、お花を生けたような。→華道のように、

花を生けたスタイルがきまったような、

美しさがあると思います。

 

つまりは、私にとっては、ですが、

技はアートである。ということもできるのです。

 

例えば相手がすごく身長の高い人、

通常の位置では技をかけられない。

そこには、創意工夫が必要となるのです。

 

瞬間の操作芸術といったところでしょうか。

 

無理をしてかけた技は、無理な形をとり、

美しくはない。

 

そして、無理やりやろうとする思念と共に、

嫌なエネルギーを出し、相手を引きずり込む

形になる。

 

それは、勝ち負けをしたい人にとっては、

そこで勝負は決まり、達成しているのかも

しれないけれど、私は、少なくとも希望的には

勝ち負けを超えた相手との美しいやりとり

の末、芸術的美しさを持った身体操作、そこに

宇宙のエネルギーをまぜたもの。といった

ものが私の目指す合気道なのです。

それは、「勝ちたい」ではなくて、

「もう勝っている」のです。

つまりは、勝つ仕組みがあるのです。

 

長年考えてきたのですが、美しさという点で、

それは、私が長年取り組んでいる

波動画となんら変わりがないものであると

思うようになりました。

 

波動画も、自動書記により描いています。

そこには、一切の自分の意志はなく、

ただただそこに在るものを描いていく、

半分描かされるように描いていく。

在るもののエネルギーを描いている

だけなのです。

でも、目に見えるものだけではない。

エネルギーなので、目に見えないものも

描いています。宇宙のエネルギーも

描いています。

 

合気道と波動画の両方の視点からは、

「ああ、宇宙は美しい。

そして美しい形や流れというものが

存在している。」

といった感嘆しかないのです。

 

美しさを感じたい。

感嘆したい。

という私がいるように思います。

 

でも、その美しさは、合気道では、

相手とのコミュニケーションの「美しさ」

なのです。

そういうものを私は求めているようです。

 

その美しさは、必ずといっていい

高い波動をもち、良い波動をもっています。

 

だから、長年続けているように思います。

 

つまりは、そこに「美しいあなた、美しい私」が在る

ということだと思っています。それを波動画

を通して、知っていただきたい気持ちがあります。

 

今日は、空は素敵な青空となっています。

思いつくままに、つらつらと書いてしまいました。

ここまでお読みいただきありがとうございます!

 

今日も素敵な一日をお過ごしください。

 

 

あなたに愛と光をおくります

愛と光と調和と学びと感謝と喜びと情熱を

Manabelle