ここに来ての色々①からのつづき

 

 

深層に眠る闇を起こしたのだ。

調子の良い時には決して開くことのなかった扉。

 

期は熟していたのかもしれない。

意外と簡単なきっかけで開いたもんだ。

 

いったん闇に飲まれると

今までの自己肯定感は嘘か幻だったのか?

と思えるほど、自己否定にひっくり返った。

 

 

 

確かに、自己肯定感だったのだろう。

だか何かあるごとに肯定、否定と

オセロのようにひっくり返る世界は

波に翻弄される小舟のようだ。

肯定と否定は背中合わせなのだ。

(否定がなければ肯定も成り立たない)

 

そんなのしんどすぎる。

 

 

私は否定を肯定にひっくり返そうともがいていたのだ。

しかし、もがくことで余計に沼にハマっていった。

 

 

 

肯定、否定って、結局何かのモノサシで

自分を評価、裁いていたのだ。

人の目、世間の目も気にしてた。

何にもまして一番は自分の目だった。

 

疲れましてん。

肯定してても否定に支えられた肯定だったのだ。

 

 

 

どんなにロクでもなくカッコ悪い自分でもかまわない。

私は私を私の人生を愛するわ。

誰が私を否定しても私は私を否定しない。

私が私を否定することさえ否定しない。

 

自分という奇跡の自然物(生き物、生命体)を

愛で、受け入れ、見守る感覚。

 

そう思ったらなんだか楽になり

渇望感が消えた。

 

いわゆる自己受容ってやつだ。

受容って受け身的に見えるが

ぜんぜん能動的じゃないか!

 

 

自己肯定の材料が何かのきっかけで総崩れになることもある。

その時、自分の存在まで総崩れになることはない。

肯定の材料がなくとも受容し愛することはできる。

 

もし、自己肯定にやっきなってる自分がいたならば

自己否定が隠れているのかもしれない。

 

 

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