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親子のトータルアドバイザー

さとう まきこ です!

 

 

 

【開催】能登地震災害支援金チャリティーイベント

 

 

 

13年前の今日東日本大震災が起きました。

 

 

 

あの日自宅のある多賀城から

 

 

 

チャイルドシートに生後1か月の娘を

のせて実家がある石巻に向かいました。

 

 

 

翌日の土曜日は、石巻のイオンのスタジオ

アリスで

 

 

 

祖父母と孫の写真を撮る予定でした。

 

 

 

夕方には夫も仙石線で石巻にくる予定

 

 

 

出発したのは9:00

 

 

 

娘の朝寝時間に合わせて出発!!

 

 

 

高速を運転しない私は実家についたのは、

11:00

 

 

(震災後しばらくは、あの時地震が

起きていたら逃げれただろうかと

怖かった、、、)

 

 

家に着いて、お昼ごはんを食べた。

 

 

母乳と離乳食には、いつも野菜スープを

欠かさなかった私のために

母が大量にスープを作っていた。

 

 

 

食べて母は産後疲れているからと

 

 

 

整骨院に行ったら?って何回か

言ってきたが、

 

 

 

何故か?その日は行きたくなくて

行かないって強く言った記憶があります。

 

 

 

それよりコタツで寝るっていって

その前にほっと一息爪をきって、

 

 

 

居間で横になって、少しウトウト

娘も隣の和室でお昼寝

 

 

 

そしてあの揺れが起きたのです。

 

 

 

幼い頃から地震がなったら、

玄関前の階段の下に集合することに

なっていた我が家

 

 

玄関が開かなくならないように

玄関は誰かが開けて

 

 

 

駐車場の車が地面と共に大きくうねる様子を

目の前でみながら、

 

 

 

一回目の揺れのあとすぐにに、夫と妹に

電話かけて通じて大丈夫と伝えた。

 

 

 

その後2回目の大きな揺れ

 

 

 

娘を抱きかかえて、落とさないようにしながら

階段下に又行った。

 

 

 

ウェーんと娘が泣いた。

父が泣くなと言ったら泣き止んだ、、、

 

 

 

その後すぐ父がラジオをつけて、

釜石で10メートル(もっと大きかったか、、、)

の津波がくると言ってきた

 

 

石巻の近くの海岸までは、車で10分程

 

 

 

わたしの中の想像だと、ここまで波が来るって

思った、、、

 

 

台所で片づけを始めた母に

早く逃げようと言った

 

 

娘を昔ながらのおんぶ紐で背負い、

厚手のどんぶくを背にかけて、

 

 

母が買っていたオムツ1パックをもって、

必要なものをバックに入れて

 

 

 

車で出ようとしたら、

鍵がない!!

(今振り返れば、これは神様のいたずら

あとで探したら、くるまのかぎがバックに

入っていたけど、そのときは探せず

 

 

 

歩いて、幼い時から逃げる場所で

決まっていた石巻工業高校に逃げた)

 

 

 

鍵があって車で行ったら、

車は車の天井まで水浸し

 

 

 

だけど車は実家に合ったから

タイヤのところまで水に浸って、

その後運転できた。

 

 

 

想像力が激しすぎて、パパは内陸生まれだけど

ちゃんと津波を避けれているだろうか、、、

 

 

 

職場は大丈夫だろうか、、、

 

 

 

逃げないと言い張って実家にいた

父は大丈夫だろうか、、、

 

 

 

親戚たちは大丈夫だろうか、、、

 

 

 

神経も磨り減るけど

背中にいる我が子のぬくもりが

 

 

 

わたしをどんなときだって

温めて、そして勇気と力とぬくもりを

くれた

 

 

 

1才まえにやっと授乳の感覚も

安定して、

 

 

 

夜中も、3時間に一回ウェーんとなく

娘に添い寝で授乳すれば、

 

 

 

その間は母も気持ちが落ち着いて、

娘も良く寝ていた

 

 

 

短時間睡眠でも大丈夫なホルモンも

うまくでていて、本当に助かった。

 

 

 

食べてないし、寒くて眠れなかった。

 

 

 

同じ教室にいた近所の子たちが

門脇の火災をみて、

「きれい」と言った、、、

 

 

 

多くの人々が飲み込まれた火災だと

想像していたので、

ちょっとだけ注意した、、、

 

 

 

その後その子たちも綺麗とは言わなかった、、、

 

 

 

一晩中不安になるラジオの声を

大きい音で流していた方にも言った、、、

 

 

 

音量低くくするように、、、

素直に応じてくれた

 

 

 

情報は時に人を不安にする

情報は必要な時に、取りに行けばいいと思った、、、

五感を休めて、

エネルギーを温存した、、、

 

 

 

高校の周りは、もともと低地で

あっというまに水に囲まれた、、、

 

 

 

建物は丈夫だったが、

ここは想定外だった、、、

 

 

 

水に浮かぶ車の油

あそこに火がついたらおしまいだ、、、

 

 

 

それだけは防げるよう必死に祈った、、、

 

 

 

地球は故郷はどうなってしまうのか、、、

 

 

 

懐かしい先生、友達の両親、、、

久しぶりの再会

 

 

 

生理が来て娘のオムツを欲しいという

方に譲った

 

 

 

高校のは貯蔵も多かったのか

しばらく飲めた

 

 

食べものがないことに焦らないと

思った、、、

 

 

 

人はいざという時は、水だけでも

しばらく生きれる、、、

 

 

 

しかもなんらかの予知なのか、

 

 

 

地震が起きる数週間前から、

めちゃくちゃ食べていた私、、、

 

 

 

ごはんをよそうしゃもじで、

炊飯器からすくって食べていたほど、、、

 

 

 

チョコも毎日食べていたら、

授乳をとおして

娘の肌を荒らしてしまった、、、

 

 

 

本当に今振り返ると、

自律神経が乱れていた、、、

 

 

 

逆に食いだめした自信で、

食べなくても平気だった、、、



母は地震の1週間前に

私にいらないよーと言われながらも



地震保険に加入した、、、



直前の震度4の地震に

続きがある気がしていた、、、



母がずっと独自で調べていた

宮城で調査していた

方がチューリップの

咲く頃



宮城県沖地震が危ないと

聴かせられていた、、、?

 

 

 避難所では

娘のうんちの量で、母乳も出ているのが

分かってほっとした

 

 

 

粉ミルクの貯蔵がなくて、

焦っている見知らぬママ達に

 

 

 

緊急時私たち母の体は、

反応するから、

 

 

 

おっぱい与えてみよって

アドバイスした、、、

 

 

 

 

自衛隊や高校生たちが、向こう岸まで机を

並べて、脱出の時がきた

 

 

二泊過ごして、

母の体調が悪くなって、

 

 

母はボートで脱出

 

 

わたしは娘をおんぶして

荷物を一個一人の男性にお願いして

もってもらった

 

 

 

慎重にすべって水に落ちないように

しながら足をひろげて、

普段はあがらない、机の上に

土足で足をついて渡った

 

 

 

その後母と自衛隊の救急車両で、

日赤病院で2泊

 

 

 

その後別の避難所に回されて2泊

 

 

 

たくさんの人に助けてもらって、

最後の避難所では、

 

 

 

離乳食も食べているかわからない

くらいの娘が固いおにぎりや

 

 

炊き出しの固い大根とにんじんも

ぺろりと食べて

 

 

 

スナック菓子も美味しそうに食べていた

 

 

 

子どもというのはお腹がすけば

食べるのだと思った(笑)

 

 

 

家では伝い歩きの娘が

まったくしなくなり、

 

 

 

10センチ私から離れると

不安がっていた

 

 

 

だからずっとくっついていた

おんぶ紐は重宝した、、、

 

 

 

寝るし、トイレだっておんぶのまま

できた、、、

 

 

 

懐中電灯も助かった、、、

トイレ他

 

 

 

その後多賀城から個人タクシーの運転手と

契約して私たちを探しに来てくれた

パパと出会った

 

 

 

日赤で1人5点まで買えた便箋セットで

手紙を書いて、

 

 

 

切手を貼らず、夫の職場に出した

手紙が届いたのは、ずっと後の事

 

 

 

避難所は乾燥して唇が渇くので

リップクリーム

 

 

 

みかんのゼリーなど買った

 

 

 

娘はそれから、中学になった今でも

みかんのジュレが大好きです♡

 

 

 

親戚も全員かろうじて助かり、

 

 

 

中学の同級生も先生1人をのぞき、

震災で亡くならなかった奇跡

 

 

 

だけどそれは私の話で、

 

 

 

震災で家族を一気に何人も亡くした

友人は、何年たっても

その辛さを消すことはできないと

言う。

 

 

 

育児もそうなんだけど、

 

 

 

辛い事を辛いと言えないことが

実は物凄く辛い事

 

 

 

だれかに言いたい、

分かってほしい、

 

 

 

だけど言えないでいると、

その傷は心に残ってしまうから

 

 

 

辛いと、

こういう気持ちだと話せる環境に

今回寄付することを決めました。

 

 

 

能登地震災害支援金チャリティーイベント

 

 

 

 

まんどろスマイル公園部主催

2/25(日)親子で冬の外遊び

 

 

 

 

 

 

 

 

ベビーケアインストラクター養成講座

卒業生有志主催

3/8(金)育児ママのほっとサロン♡

 

 

 

を通して総勢62名の方々から

支援金を頂きました!!

 

 

 

 

 

・ママを支える気持ちが温かく、嬉しかったです

 

 

・触れ合い、交流、支援が一つになっているイベントに

参加できたことが本当に嬉しかったです

 

 

・こんなに楽しく参加させていただいたのに、

さらに能登のお母さんたちの心の支援になって

行くのかと思うと本当に感謝しかありません。

 

 

 

 

 

 

・その前はまったくおてて繋いでも

歩く気配0だったのに、、、

 

外遊びの翌日急にいっぱい

1人で歩き始めて、パパと喜びを共にしました♡

 

くつも自ら脱いで、脱げて?

靴下で地べたに座ったり

 

沢山の刺激がありましたね♡

(冷たい、でこぼこ、風、濡れる…)

 

 

・このお金能登のママたちに役立ててください

 

 

 

 

 

(各々のイベントのブログは別途書かせてくださいね)

 

 

 

愛いっぱいの参加者様の

多大なるご支援

 

 

 

関係者の皆さまには、心から感謝の

想いでいっぱいです!!

 

 

 

 

 

 

本当にありがとうございました!!

 

 

 

集まりました寄付金総額71800円は、

現在石川県金沢市にあります、

 

 

キャップネット石川様に

寄付する準備をしております。

 

 

 

あの日私たちも誰かに、祈ってもらい、

誰かに助けてもらった

 

 

 

 

精神的な支え

 

 

物質的な支え

 

 

 

メールや電話

 

 

園バックや食料

 

 

 

温かいお言葉や贈り物、

 

自衛隊の方々のお風呂や全国の

水道

 

 

 

私達のお金は微々たるものかもしれませんが、

 

 

 

そこに愛を想いを載せて

お届けさせてください!!

 

 

 

過去の災害でお亡くなりになられた

方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

 

 

残された方々の心の傷が少しでも

癒えますように。

 

 

 

2024年3月11日(月)

 

 

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佐藤 真紀子

 

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