【思い出話】わたしのピアノ遍歴を語る | いまにしまりmusicブログ|神戸市北区|マリンバ・ピアノの演奏、講師♬

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神戸市北区♬マリンバの演奏や幼稚園の課外活動でピアノ教室講師をしています。ふだんは一児の母。演奏、レッスン、日々のことなどお伝えしています♡

ご訪問ありがとうございます♩

今西真理です🙇‍♀️✨


今日はピアノの思い出話を語ります。笑









私がピアノを習いはじめたのは

確か幼稚園のころ…

近所のヤマハ音楽教室でした。


両親が音楽好きで、習わせたいと。


この頃は、宿題がいやでいやで💦

グループレッスンだったので

みんなの前でできてないと言われるのが

すごく嫌で、ある日

またまた宿題を忘れたレッスン日当日、

家の前で親と格闘しながら

行きたくない〜!!!

と泣いて泣いて、泣きまくったのを今でも覚えています😅

結局それで行かなくなりました。

 

次の記憶は、カワイ音楽教室の

個人レッスンでした🎹

ここでは自分のペースで続けられ、

バイエル上下巻などをやりました。


小学生に上がる時、父の転勤で

海外に住むことになりましたが

そこでも、日本人のピアノの先生に

習っていましたね。

この先生のことがとっても大好きで、

曲をイメージして絵を描いたり、

たくさんお歌をうたったり

レッスンが終わるとジュースやケーキを

出してくれたりしました。

この時期、ピアノや音楽がもっと

好きになりました。

ブルグミュラー25に入っていたかと記憶しています。


小学校高学年に入る頃

日本に戻ってきて、

こんどは有名なピアニストの先生に

習うことになりました。

この先生は、非常に厳しかったです。

挨拶や言葉遣いにも細かく注意されますし、

どんどん難しい曲に進んでいき、ついていけなくなりそうでした。

楽譜に、6Bの鉛筆✏️で

激しく書き込まれ…恐怖を感じながら

レッスンを受けました🤣

今になって思うと、この時期、

鍛えられたなあと感じます。


何年か続けた頃、新聞で先生が

お亡くなりになったと知りました。


そして、しばらくピアノを弾かなくなりました。



中学生になって、音楽室で友達が

上手にピアノを弾いているのを聴いて、

私もまたやりたいと思い両親に相談。


またレッスンに通いはじめました。

ここではラジリテーやツェルニー30番40番、

ハノン、ソナチネ、ソナタ、

ベートーヴェンのソナタ、バッハインヴェンションとシンフォニア、フランス組曲イギリス組曲、

メンデルスゾーンや、チャイコフスキー、ショパン、ドビュッシーなど

先生がとても丁寧に指導してくださり

また上達も自分で感じられ、

ピアノが好きな気持ちが戻ってきました。


CDで聴くような有名なクラシックの楽曲を

演奏できる嬉しさや、

自分の演奏、表現をもっと磨きたいと

思うようになりました。



音大時代は副科でしたが

ツェルニー50番、

バッハ平均律の初めの方や

ガーシュウィンの小品やシューマンを

弾いた記憶があります。

同じコマにレッスンを受けている先輩が

ラヴェルやリストを弾いていて

憧れでした😍

この頃は打楽器専攻の本業が濃かったので、

ピアノはあまりできませんでした。


卒業後は

モシュコフスキーやショパンのエチュード、

流行りのポピュラー曲など

自分の弾きたいものを選んで弾いています🎹



指はまわらないけれど

譜読みをして音が音楽になっていくのが

やっぱり好きです😊

そして作曲家が生きた時代や、どんな人物だったのかを知っていくことも面白いです✨

これからも時間を見つけて練習したいです😊


音楽は一生の友達ですね♬




私にピアノと音楽を教えてくれた

歴代の先生方には本当に感謝しかありません✨

私も、こどもたちにピアノや音楽の楽しさを

伝えていけるよう、勉強し続けたいと思います。





 

 

 

これまでの演奏活動をまとめています♩

真理のホームページ

よかったら見ていってください✨

 

最後までありがとうございました♡