集中して触れ始めたのは、
阿部敏郎さんが紹介してくれた、
大和田菜穂さんがきっかけでした。
ブログで名前を見て、
直ぐに本を注文しました。
それまでにも、
ノンデュアリティの本を幾冊か買ってはいましたが、
その当時は「訳分から~ん( ? _ ? )」で、
本は積ん読状態。
それはタイミングというもので、
菜穂さんの本を読んで、
サットサンに参加して、
菜穂さんのヨウツベ動画を繰り返し観て、
非二元のブログを読み、
非二元の本を買って読み、
そのメッセージに触れているうちに、
そういう表現が、
どんどん徐々に(この表現が実感)、
頷けるものになり、
ここから表現することも、
毎回くらい変わっていきます。
昨日の表現は、
今日表現したい事とは違っている。
時間軸を持ってすれば、
この表現の、
あまりの変化に驚くばかりです。
実相を垣間見ることも、
収縮した「私」エネルギーの解放も無いので、
「それ」を描写することは出来ないけど、
例えば、
富士山の頂上で雲海を観ているときに、
その雲が晴れて、
全貌を見渡すことも、
起こるやもしれません。