語り部五十嵐ひで子さん | 石川巧オフィシャルブログ「すべては三浦のために」Powered by Ameba

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一期一会を大切に、神奈川県議会議員石川たくみのブログです。
<私の目指す政治活動>
 ○自立的な生活経済圏     ○誇りの持てる教育
 ○一人でも多くの三浦ファンを ○より身近な市政に

「津波から生還した経験を 語ることで、犠牲者を供養し次代の生命を守る」

「相馬市伝承鎮魂祈念館」は、東日本大震災によって失われた相馬市の原風景を後世に残し、遺族の心のよりどころとするとともに、震災前の相馬市を知らない方々に在りし日の相馬市の姿を知ってもらうため、原釜地区に設置した施設です。
敷地内には慰霊碑も建立されており、地区の犠牲者の芳名と被災状況を記した碑文が刻まれています。



震災語り部としてご活躍されている五十嵐ひで子さんからお話を頂くことが出来ました。


2018年に政府主催「東日本大震災七周年追悼式」で県代表として追悼の言葉を述べる等、伝承活動を続け、2023年7月に復興大臣から感謝状が贈呈されています。

ひで子さんは、原釜尾浜海水浴場のそばで民宿を営んでいました。あの日14時46分に大きな揺れに襲われました。
逃げることより、お客様が来るのにどうしよう?そんなことが気がかりだったそうです。
消防団の方が、岩手や宮城に大津波が来たので、逃げるよう促されましたが、しばらくは動けず、ようやく夫と身体の不自由な叔父を連れて家から外に出た時には、すでに水が道路に流れ出していました。
津波が来たので木につかまっていましたが、叔父の手が離れ、近くの夫は波にのまれ…
ついに本人は意識を失ってしまいました。
父に発見された時、五十嵐さんは、民宿から700m以上も流されていて、衣服もなく、がれきから首だけが出ている状態だったそうです。あと5分発見が遅かったら低体温症でダメだった、と医者に言われたそうです。


「なんで『逃げっぺ』の一言が出なかったのか。それが悔しい」

「ここに来る子どもたちには、『自分の命は自分で守るんだよ』と伝えています」