今日は私たち夫婦の7回目の結婚記念日です。
また今日は私の45歳の誕生日でもあります。
7年前の私の誕生日に入籍しました。

まだ当時は妻は20歳、そして私は38歳になった日。
18歳もの年の差での入籍でした。
その2ヶ月前の5月31日に、妻のお腹に子どもが宿った事を知りました。
巷で言う「できちゃった結婚」ですが、内情は「作って出来た結婚」だったんです。

普通は入籍してから子づくりですが、先にも書いたように18歳差という年齢差。
当時妻はまだ20歳になったばかりで、私はバツイチ。

そんな間柄だったので、結婚に向けた既成事実という意味でも、子どもを授かることで結婚に導きたかったのです。
親の身勝手にも感じますが、バツイチで年の差で結婚をするには私にとても抵抗がありました。

私は、妻よりも先に老いる。
その時に、妻がひとりぼっちになってしまう事を考えると、どうしても結婚へ踏み切れなかったんです。
でもその2人の間に子どもが授かれば、家庭が出来て、そして妻もその子どもに支えられ、寂しい老後を過ごさなくても良くなる。
そんな事をずっと考えていたのです。
だから、私たちが一緒になる条件が「子どもを授かること」だったのです。

そんな2人の将来を掛けた子づくりだったので、プレッシャーもありましたね。
妻は凄い生理不順で、子どももなかなか授からなかった。
8ヶ月以上も、子づくりをしていたんです。
妻は婦人科にも通いました。
独身で不妊治療という訳にもいかなかったので、生理不順から通院をして、そして排卵誘発剤の注射を打ったり定期的な治療をしていた時です。2005年の5月31日に息子が妻のお腹に宿りました。

エコー写真を見たときの喜びはハンパじゃなかったですね!
それからすぐに妻もバイトを止めさせて、私もすぐに家を買って家具や電化製品をすべて買いそろえて、子どもの出産に向けた環境づくりをしました。

お腹にいるときも極力無理をさせないようにして、軽い運動や散歩をして体力を整え、暑い時期は避暑地で過ごさせて、寒くなってきたら温泉に連れて行って、妻の体調を気遣いながら我が子の誕生を心待ちにしていた記憶があります。

そして生まれた子どもはとても元気いっぱいの赤ちゃん。
妻には母親が居ないので、里帰りをしてもケアができる人が居なかったので、退院後はそのまま家に帰って来て2人だけで子育てをしました。
3時間起きのミルクも妻と私で担当してあげたりしました。

生まれてきた子供は宝物のような思いで育てていました。
ただ年月が経つと、ちょっと気になる行動を頻繁にするようになりました。

そして結果的にその私たち夫婦の絆でもある、愛息は発達障害という障害を持っていることになりました。
その時に色々と考えた時、一番私の脳裏に焼きついた気持ちは「長生きしなければいけない」ということでした。

妻の老後に寂しい思いをさせたくないと想い、それで産まれた息子。
しかしその息子が障害ということになれば、私が居なくなったときに妻が老後の安定どころか大変な思いをしてしまう。
だから今は「一日でも長く生きられるように」という思いで必死に子育てに取り組んでいます。
そして真輝の将来の基盤をつくる努力もしています。

今日は7回目の結婚記念日であり、私の45歳の誕生日でもあります。
ここで新たに決意したい事は「10年先の真輝の為に、今のうちから生活基盤を構築させていく」ということ。
真輝が仮にどんな状態になったとしても真輝が真輝らしい、幸せな生き方を選択できるような環境作りをしていきたいと考えています。

今、我が子は6歳。10年後は16歳。その時は高校生になっています。
そこまでには、真輝の働く場所と自立できる場所、そして働く喜びと、友と触れ合い喜び会えるような環境を作ることが、こまこの45歳の自分の誕生日に決意した「次への一歩」です。