さいたま市の障害児特別支援教育の在り方についてです。
今回のブログは少し長文となります。

この障害児への特別支援教育に関しては、その地域の教育委員会の対応、そして支援学級の配置率、通学への問題、地域の問題、そして手帳の在り方によって、その地域ごとでは全く考え方が異なってきます。
ですからブログに書くと全国の人が読まれるので、自分の地域と当てはめて考えると相違した意見も出てくると思いますので、あくまでさいたま市の特別支援教育の在り方ということで参考でに読んで頂きたいと思います。
過去のブログでも何度も書いた事がありましたが、さいたま市は現在102校の小学校があります。
そのうち、特別支援学級が配置されている学校は28校。

支援学級の配置率は27%です。3校に1校も配置されていません。
この配置率をこのブログで紹介した時は、読者の方々から相当驚かれました。
それは「支援学級は学校内にあって当たり前」というのがどの政令指定都市でも常識であり、無い事が不思議ということです。
ですから、他の支援学級が当たり前のように配置されている地域では、地元の学校へ通う権利が当然と思われています。
この環境下のなか、我が子の通常通う普通学校にも支援学級が無いので、転校が余儀なくされます。
その転校ということで考えた場合、私の住む地域では、支援学校を選択しても支援学級を選択しても、学区外の学校へ行くことには変わりありませんでした。

丁度1年前の頃は、それを悩んだあげく、私は息子を支援学校へ就学させる決意をしました。
しかし当時は、就学相談センターや、さいたま市の担当部署は「支援学級」と判断していました。
そして何度も、市や就学相談窓口と懇談して、結果的に私の希望通り、支援学校となりました。
これについては、このブログのブログテーマのカテコリで「就学への取り組み」 として10回に渉り記録してありますのでお時間があったら御覧下さい。

結果的に言うと我が子は、軽度知的ハンデな状態(発達指数67)でありながらも、学力向上より療育への専念を優先し「あえて」支援学校を選択したという、さいたま市ではとても希なケースです。

ただそれが功を奏したのか?結果的に我が子は毎日伸び伸びと生活して、楽しく学校生活を送り、そして療育も丁寧に行われ、専門の先生方に個別支援計画をシッカリと作って頂き、大事に大事に育てられています。
全くもって不満のカケラもありません。

まずはこの自分の立場を明確にしない限り、これから書く、私の危惧について説得力がでないので先に書きました。

さて、このさいたま市では、これから「障害児であっても極力地元の学校へ通わせるような動きになっていく」という事を聞きました。
これは、重度身体障害でも軽度でも、そして重度知的障害でも軽度な発達障害でもです。
理由は、さいたま市ではノーマライゼーション条例に基づき「誰もが共に暮らすための障害者の権利の擁護」に関しての理念ということです。

身体障害に関しては私も無知なので、これよりこの問題は発達障害児に対して限定して書きます
自分の持論を述べるならとても残念なことです。
何故なら構造化すらまともに出来ていないのに、条例や建前が先に来て、その全体的な方向性と進んでしまうのか全く理解出来ない。

例えば、その障害を抱える親が絶対的な責任を持ち、そしてどんな障害を負っていたとしても、親がキチンと責任を持って地元の学校で学ばせたいという強い意志があるのであれば、それは当然権利として保障し、シッカリと支援が必要でしょう。
しかし、私が経験した就学相談は、殆どが今までの「例」から取り上げ、その子の将来を決定しているということです。
それは就学先を決定する専門家という人たちは、その子の過去の障害特性に基づき、未来を生活する場を判断しているということです。全くここに「可能性」というものは考えられていません。
それは私自身が様々懇談して感じた事です。
しかし私はこの就学を決定する専門家の方々を批判している訳ではありません。当然そんな見えない「可能性」とやらに期待して判断する事は責任上できないと思うからです。
だから私は親としてのハッキリとした意思表示と、就学への方向性を明確にする責任が親にあると思っているのです。
私はその結論から、様々な場所と懇談しました。
そして私が就学決定の時に最後に言っていたことは「就学を判断する方々は、今までの真輝の行動特性を判断し決定している。私は未来的観測に基づき私は判断 している。将来の我が子の責任は私が持ちます」と言い切ってきたのです。だから結果的に私は希望する支援学校へ息子を行かせる事が出来たと思っています。

でも、ただでさえ、就学には悩みに悩んで苦しみに苦しんでいる親御さんは数多くいます。
そこで就学の決定をするのも確かに大変な役割でしょう。
しかし、この構造化すらまともにできていない、さいたま市(支援学級が27%という配置率の低さ)において、極力地元の学校へ通わせるような動きをする事はどれたけ当事者を苦しめてしまうか?という事を考えて頂きたいと思いました。

例を挙げるならば、支援学級があったとしてもシャワーすら完備されていない学校もたくさんあります。
シャワーは何故必要か?それはトイレに行く事が困難な子どもが、環境変化によって我慢してしまい、そしてお漏らししてしまう場合もあるのです。
その場合、換えの下着があったとしてもその前にシャワーで洗ってあげる・・・、それだけでもその子への配慮が変わるはずです。
そんな設備もない。そして1クラスも8名で法律の範囲でギリギリの状態です。
重度な障害を持たれている子どもに対して、先生も意識がいきやすくなります。
その場合、先生の数もすくなければ軽度の子どもたちは放って置かれる可能性もあります。
そうすると先生の数も圧倒的に足りなくなると言うことです。
それを急に増やすことはできるのか?そんなに急に発達障害に関して専門の先生を育成し、配置することが可能なのか?など問題がかなり先送りになっている気がします。

私は決して、地元の学校に通わせたいという親の気持ちや、市の考え方を否定しているわけではありません。
でもそれならば先にやることがあるでしょ?と言いたいのです。

それは私も昨年の6月に私の質問が、さいたま市の本会議でも代表質問されています。
平成23年6月 さいたま市議会本会議 定例会

支援学級の配置率の低さについて訴え、少しでも地元の学校に通えるように!と行動はしています。
しかし、構造化は全く進んでいない。支援学級の配置計画だって遅れています。
その状態の中「障害児であっても極力地元の学校へ通わせるような動きになっていく」ということだけ前提として進んでいくことに対して危惧しています。

さいたま市はこのような状態ですが、来年、そして再来年に就学を控えているお子さんをお持ちの親御さんはシッカリと我が子の特性を理解したうえで、就学のことだけを考えずに、10年先の我が子を考えて判断してください。
そこに自信が持てるのであれば、普通学級でも支援学級でも支援学校でもお子さんは幸せになれると思います。
今回のブログに関してはあくまで私個人の持論ですので参考程度にお読みください。