スキー場での出来事について。
前回でも書いたように 、ソリを乗ってて人とぶつかってコケたあと、ソリは殆ど乗らなくなりました。
それからはずっと雪遊びをやっていました。
やたらと人が踏み入れていない新雪を求めてかき集めていました。

マサキング子育て奮闘記 ‐広汎性発達障害の息子を抱える父親の日記‐

そして雪のお団子を作ったりして遊びました。

マサキング子育て奮闘記 ‐広汎性発達障害の息子を抱える父親の日記‐


さて、前回のブログでも伝えたように、あるご家族とのエピソードについて書きます。
その方々はお父さん・お母さん・そしてお姉ちゃんと真輝と同い年くらいの男の子の4人家族でした。
そのご家族が、シャベルやバケツなどの遊具を持って、大きなトンネルを作っていたり雪だるまを作っていました。
真輝は、そのご家族の遊んでいる姿が気になり、そして遊具も借りたいという思いがあったようで、自分から近づき「一緒に遊ぼ!」と声を掛けました。
ご家族は快く真輝を迎え入れてくれました。

少し遊んでいると、男の子の持っているシャベルを「貸して」と。
男の子はすぐに貸してくれました。
私は真輝に「『ありがとう』って言うんだよ」と言うと「ありがとう」と。
そしてそのご家族のお母さんが「お名前は?」と後ろから声を掛けました。
でも真輝は何も答えず黙々と遊んでいました。
またお母さんは「いくつなの?」と。
それでも真輝は何も答えませんでした。

そこで私がそのお母さんに言いました。
「申し訳ありません。うちの子は生まれつき、脳に軽い機能障害があって、人から声を掛けられても自分に言われているとか、そういう事を気づきづらいのです」と。
するとお母さんが「そうなんですか。でも見ただけでは分かりづらいですね。普通に見えてしまいますね」と言いました。
そこで私は「そうですね。外から分かりづらい障害ですから、コミュニケーションでトラブルになる事も多々あります。これは発達障害という障害で、その中の自閉症という障害があって、特性のひとつなんです」と言いました。
するお母さんは「自閉症って聞いた事があります。確か映画とか、有名な方も自閉症の人は居ますよね?」と言いました。
私は「はい。100人に1人位の割合で自閉症は居ます。生まれつきの障害で、発達障害という大きなものになるともっと居ると思います」と伝えました。

そのお母さんは、私の話を聞いてくれました。そして頷いて理解をしようとしているお母さんに続けて言いました。
「では後ろから肩を叩いて、『ねぇねぇ』と言ってみてください。その後に『お名前は?』と聞いてみてください」と伝えました。
そうしたら、そのお母さんは「ねぇねぇ」と。
すると真輝は「えっ?」と振り返りました。
その後に「お名前は?」と聞きました。
そうしたら息子は「●●●マサキです」と言いました。
それからお母さんは「何歳ですか?」と聞いたところ、真輝は「6歳。●●●●支援学校1年です」と答えました。

するとお母さんは「なるほど!こうやって聞けばちゃんと答えてくれるんですね」と喜んでいました。
そこでそのお母さんは、近くに居たお父さんにも障害について伝えました。
お父さんも真輝の肩を叩いて振り向かせてから「真輝君。シャベルで穴を掘ろうか?」と言いました。
真輝は喜んで「いいよ!じゃあ一緒にやろうね」と、そのお父さんと一緒に雪で遊びました。
すると子どもたちも、ちゃんと真輝の肩を叩いて振り向かせてから、言葉を掛けるようにしていました。

このご家族は、発達障害の子どもとは触れ合った事はあまり無かったようですが、私のお願いした行動をそのままやって頂き、真輝とシッカリとコミュニケーションが取って一緒に遊んでくれました。
30分位はずっと遊んでいたでしょうか?真輝も知らないご家族と楽しく遊べていることで、凄く楽しそうに遊んでいました。

この時に私が感じたこと。
講習や講演でも何度か聞いた「足場がけ」という介助方法です。

障害とはあまり関係ない方々に障害を理解してもらうという事はとても難しい。
でも、そのキッカケと方法を少し伝えるだけで、その方はコミュニケーションができるようになる。
そうすると、その交流の中から、障害の行動特性を理解していくことで、後はどんどん交流が進んでいく行為です。
このキッカケ・・・いわゆる「足場がけ」を親がキチンと行えば、子どもの遊び場が増えるのでは?と感じました。

この足場がけは、その障害の特性によって様々ですが、その当事者へ「足場がけ」を一番理解しているのはやはり親だと思います。
子どもの頃からずっと育ててきている。だから得手、不得手も心得ている。
その親が少し我が子の障害をオープンにして伝えれば実際にその子の新しい道が拓けてくるのでは?と思っています。

例えば「障害を理解してほしい」という人は居ます。
また理解しようとする側も居るでしょう。
しかし、理解する人側が仮に理解をしようと思っても、それが本であったり、テレビてあったりメディアを通しての理解では私は理解が深まるとは思えません。
この理解しようとする側がメディアから得る知識は画面や紙を通してでは、なかなか深く考察することができなのです。しかし、ここで実際に我が子を連れて、そして今回の様に伝えると、リアリティが伴って、相手も深く考察しようとします。
またそこで自分が実際にコミュニケーションに成功すると、次はどのようにするか?という事を自分から考えていくようになます。
私の今回の体験は一例であり、すべてがこの様にうまくいくとは限りません。
しかし、あの時すぐに私が真輝の障害をオープンにして、相手の方にその交流の仕方を少しアドハイスしただけで我が子も、そして相手のご家族も、そして私もみんなが交流することができました。

この小さな小さな1つ1つの「足場がけ」を積み重ねることが障害に対する現実の理解を深めていくことになるのでは?と感じます。

そんな小さなひとつの出来事から感じた、障害児を抱える親の話でした。