2006年1月29日午前2時28分。
ちょうど7年前の今日、真輝は誕生しました。

マサキング子育て奮闘記 ‐広汎性発達障害の息子を抱える父親の日記‐-誕生記録2


この写真のように誕生の数時間前、これから誕生する我が子に対して妻は陣痛で苦しみながらも手紙を書いていました。

マサキング子育て奮闘記 ‐広汎性発達障害の息子を抱える父親の日記‐-出産記録

陣痛の間隔を私が時計を見ながら走り書きで書いている事がわかると思います。
そして10時間に及ぶ陣痛の後、真輝は誕生しました。

その3年後の2009年1月29日。
真輝の3歳の誕生日からこの「マサキング子育て奮闘記」をスタートさせました。
このブログも今日で4年が経過し、5年目に入りました。

1歳になるまでは大きな変化もなく、あやすと笑い、抱きしめると安心していた我が子。
しかし年を重ねるごとに「拘り」や「特性」が現れ、結果的に2歳10ヶ月の時、正式に「広汎性発達障害」と診断されました。
その息子が一生持ち続ける「障害」というものに対して父として「何か出来ることはないのか?」と考えた末、今まで「記録を残す」という事にもの凄い不慣れだった私が「息子の成長記録を残す」という「子育て奮闘記」を始めました。

開始した当初のブログは、読み返すと恥ずかしいほど、障害の事を分かっていない自分が居て「なんでこんな事考えていたのだろう?」と自分のブログを読み返しても可笑しくなる文面が多々あります。
しかしこのブログを4年間通して、3歳~7歳までの我が子を記録し続けた中には膨大な財産が残っていました。
もの凄い記録の数々です。自分でも読み返すのが困難なほど、その膨大な記事に圧倒されることがあります。

ただ総称してこの4年間を考えると「息子に対する愛情」というのは微動だにも変化していないということ。
そして「子育て」の中で、結果的に我が子から「親育て」をしてもらっていることが分かります。

普通の家庭・・・定型発達の子どもが居る家庭の父親は「子育て」をするのが普通です。
しかし、普通の子育てがなかなか通用しない、発達障害の子どもは、その時その時を子どもと一緒に学ぶ「親育て」をさせてもらっています。

その親育て・・・親としての私の成長も、このブログではひとつのテーマになっています。
我が子の就学で思い悩み、夜中に枕を濡らした事も多々ありました。
出来て当たり前のことが、出来るだけでも喜びを感じることが何度もありました。
我が子の成長の躓きに「どうしたら良いか」と考えた日々もありました。

まだまだ通過点に過ぎませんが、そんな私の親育ての結果、私は障害のある子どもを持たなかったら決してやっていないこと、そして出会っていない人たちに出会うこともできました。

我が子が障害でなかったら、厚生労働省の自立開発支援事業などやっていないでしょう。
我が子が障害でなかったら、NPO法人の設立もしていなかったでしょう。
我が子が障害でなかったら、家路を急ぐ父親ではなかったでしょう。
我が子が障害でなかったら、時間の工夫なんて考えなかったでしょう。
我が子が障害でなかったら・・・もしかしたら「楽しい」という事を「楽しい」と感じることのできない人間になっていたかもしれません。

その私が、我が子の7歳の誕生日に伝えたい事。
障害がある事は決して不幸ではないということ。
障害を不幸だと決めつけてしまっている自分の気持ちが不幸であるということ。

仮に障害がなかったとしても、また違う人生の「障害」にぶつかっていたかもしれません。
例え障害があっても、そして将来、僅かの賃金しか貰えないような人になってしまうかもしれないけど、また障害故に人にバカにされる人になってしまうかもしれないけど、私は可愛い我が子が「生まれてきて良かった」と思えるような、そして10年後、20年後、もしかしたら30年後、息子から「ありがとう」と言ってもらえるような父になりたいと思っています。

この先の人生、何が起きるかなんて誰も分からない。
それは障害の有無なく、誰も分からない・・・??????の連続であれば、今この日、この時、この瞬間を懸命に我が子の事を考えて真剣に親として接する。それが「子育て」であり「親育て」だと思っています。

いま私は45歳。
真輝は7歳。
あと10年もすると、体つきもチカラも我が子には叶わなくなるでしょう。
ただ「父としての威厳」さえ強く持ち続け、真輝が将来どのようになったとしても「父には叶わない」と思われるような、決して力ずくではなく、心から父としての存在を強く感じてくれる人へと成長させたい。
その成長したとき、もしかしたら我が子も将来結婚して「我が子」に巡り会える時がくるかもしれない。
その時に今の私の父の姿を手本としてもらえるような父でありたいと思っています。

まだまだ通過点です。
今日まではホッとしたとしてもまた明日には新しい「悩み」や「考え事」が出てくると思います。
そんなユックリさせてくれない我が子。
そんな我が子だからこそ「親育て」として大きく存在感があるのだと考えています。

今日より明日へ、大切な我が子へ・・・。
明日も元気に幸せに楽しく生きてください。

7歳のお誕生日おめでとうクラッカー