しばらく更新の間隔が空いてしまいました(汗)
リアルな生活が余りにも多忙でして、殆ど真輝とも遊んでやることが出来ません。
おやじりんくの活動報告 は活動の度に書いてますが、それはおやじりんくとしての活動で、やっぱりこっちのブログは、真輝や家族の出来事を書いていきたいと思ってます。
さて、本当は色々とあるのですが、今日の話題は学校のこと・・・。

今日は、学校で担任の先生との個人面談がありました。
私も久しぶりに学校を訪問して、担任の先生と、この1年間の息子の療育について懇談させて頂きました。

個別支援計画に基づき、その達成と2年生に向けた課題や取り組みについて話しました。
この1年、総体的に見て、真輝は親でもビックリするほど、成長したと思います。
良い意味で期待を裏切ってくれました。

まず、私は就学で支援学校を選択するときに、学力の向上は諦めていました。
それよりは「幼少期に個別の療育を徹底し、将来に向けた社会生活での基礎作りを・・・」と考えていました。

しかし、その療育についても土台から基礎を療育して頂き、それ以外にも学力も向上しました。
支援学校で「ひらがな」「カタカナ」「数字」の読み書きができるようになりました。
まだまだ完全ではありませんが、数も30位までは数えることもできるようになり、どっちが多いか?などの比較をすることもできるようになりました。

真輝の障害特性を親から感じると、息子はヤル気を出せば出来るようになる子だとは思っていました。
しかしその「ヤル気」を出させることが難しいのです。
そこに先生は着目されて、真輝の特性を見極めて、ヤル気を出させてそして学ばせました。
その結果、真輝はこの1年間でキチンと学力も向上しています。

これは発達障害児にとってとても重要な要素です。
先日の日曜日(17日)、発達の気になる子たちの学習塾のLeafにて、ふぁみえーる主催のイベントに講師としてお話しさせて頂く機会を頂きました。
その時に私は参加した方々に伝えたことがあります。
それは「療育の根本と基礎を、手段と取り違えてしまい、手段を目的とした場合、療育は成功しない」と言いました。

手段を目的とした場合・・・
例えば、学力向上が目的として、療育をしてしまう。
そうすると、学力の向上の為に別の手段を選ぶ。仮に目的は達成したとしても、そこには根本の療育の基礎構築がされていなければ、表面的な手段の達成になってしまうと思っているのです。

もう少し分かりやすく表現すると、英語の単語の暗記です。
これではある時期を過ぎるとその単語は忘れてしまいます。
本当に英語を学ぶのであれば、それは文法や、その文法を実際に使う場になって覚えなければ身につかないのと同様です。

昨年4月、入学時に担任の先生と個別に懇談させて頂きました。
その時に先生は数日しか会っていない真輝の特性を見抜いていました。
それを分かった時に私は「私が細かく言うより先生にお任せした方が良い」と思ったので、私は学校での療育については先生にお任せしました。
その結果、親が望んでいた療育が施されました。

さて話を元に戻しますが、今日は担任の先生との懇談で、とても建設的な話が出来ました。
まだまだ真輝には、様々な障害特性があります。
しかしその特性はすべて枝葉であり、根本的な療育・・・所謂、障害特性を見極めた真輝の「とがった個性」を、うまく社会と接する方法について色々と助言を頂きました。

後は先生との懇談の中では、家庭での療育と学校での療育の差違が無いように、意識のすり合わせという感じです。
これで療育の方法を共有して、真輝に接していけば良いだけです。

私は懇談の中で、私が障害児教育の雑誌でインタビューを受けた内容 についても伝えさせて頂きました。
それは「最後は親が責任を持つ。そして子どもの将来に向けたビジョンを親がキチンと明確にして、それについて先生方や周りの方々に個別に支援を頂く」という事を伝えました。

そう考えた時にビジョンを明確して、それについて先生方や学校はキチンとこの1年生という期間は支援をして頂けました。
そんな話を1時間ほど先生とさせて頂きました。

細かい問題は多々あります。
しかしそれは障害の有無関係なく、子育てという事では様々な問題は起こります。
大切な事は学校と親がキチンと連携して、たくさんの大人達がまだ見守れる生活の中で、行動特性の強い発達障害児というものを、社会の中ではみ出すことなく生活が出来るようにする事が大切だと感じています。

さて、次回のブログからは少し共通した内容について何回かに分けて書きたいと思っています。
我が家には大きな環境変化が訪れた話題です。