このままでは3月に1つもブログを書かないまま終わってしまいそう(汗)
3月に入ってから何もしていない訳ではなくて、もう怒濤の日々を送りもの凄く忙しい状態です。
このマサキングのブログはあくまで真輝のことを中心に書きたいから自分の団体のことに関しては"おやじりんく"の活動報告 で書いてありますのでそちらを御覧下さい。

さて、今日で真輝は終業式を迎え、無事に小学校1年生の生活を終えます。
昨日の深夜、この1年間、大変にお世話になった先生方へ感謝の意味も込めて御礼の手紙を書きました。

手紙の初めの一部を抜粋して引用します。

昨年4月に入学してからこの1年間、大変にお世話になりました。
入学まで我が子の就学については様々な意見もあり「軽度知的障害だからこそ、普通の子どもたちと学ばせて成長させた方が良い」という意見もあり、就学相談時には支援学級と判定されていました。
ただ私の療育の考えの基「軽度知的障害だからこそ幼少期に受ける様々なストレスは将来的に二次障害に繋がる要素になり得るからこそ、支援学校で徹底した療育を行いたい」という決意のもと、周りの意見に反して支援学校を選択しました。
ただ、その決意と引き替えに学力の向上については諦めておりました。
入学してすぐに真輝は体調を崩し、昨年4月は殆ど学校へ行けない状態が続き、私が思っていた以上に幼稚園からの環境変化による心身のストレスが大きい事に自分の判断に悔いた時期もありました。

しかし4月の下旬。真輝の中で何かが吹っ切れたように変化が起きました。
そして初めての個別支援計画による懇談の際、先生が出された計画を拝見させて頂いた時に、私はすぐに「ここまで短期間で真輝の特性を見抜いておられる方であれば、細かい説明は要らない」と感じて、学校での教育については一切お任せして参りました。
その結果、先生方は真輝の良い所を伸ばし、リーダーシップを大切にしてくれて、ヤル気を与える環境を作って下さいました。
当初は学力の低下についても覚悟していましたが、その危惧していた事に反して国語・算数についても学力が大きく向上しました。
まさか支援学校でここまで勉学が行われていくとは予想もしていなく、真輝は「字を書く」ということに興味を持ちました。
今では、ひらかな・カタカナ・数字も読み書きできるようになり、普通の学校に行っている子たちとも大きく遅れることもなく、通常の学力に近づいているのではと思っております。


以下は、真輝の療育に対して様々な足場がけをして成長させてくれた事に感謝を綴っています。

今回、とても残念なことがありました。
それは、真輝の担任の先生が今年度で定年退職をされてしまうことです。
支援学校の教員として、障害者への支援の先生として30年以上に渉り、障害児と接してきて、様々な子どもたちを教育されていたとても素晴らしい先生です。
手紙にも書いたようにこの先生は、短期間で真輝の障害特性を見抜き、良い部分に関して伸ばして開花されてくれました。そして苦手な部分についてはスモールステップと、1つ1つ丁寧に接して克服をしてくれました。
支援学校については私も「重い子が行く」というイメージがありましたが、真輝のようにとても個性の強い子どもでもシッカリと療育してくれる事を教えてくれた先生でした。

まさに障害児への学校療育の模範となるべく、指導をされている先生でした。
ただ残念なことに人は必ず出会いと別れがあります。
どんなに恵まれていた環境だとしても、そこには新しい環境が芽生えていきます。
これもまた成長過程の中では普通にある出来事です。

しかし、この先生が毎日書いてくれた真輝の学校生活での連絡帳は大切に保管して、先生が真輝に対して療育した内容については自宅でも親がキチンと引き継ぎ、そのまま続けていきたいと思います。
そして2年生になった時にも、新しい担任の先生にこの内容についてはキチンと引き継ぎして、親と教員が一体となって真輝に対してまた一歩成長した療育をしていきたいと思っております。

先生、大変にありがとうございました。また1年間、本当にお世話になりました。
私は父として、この1年間での小学校生活に関しては何ら不満を持たずに、安心して愛息を預けることが出来ました。
どうもありがとうございました。