総社市の片岡市長と懇談2 からの続きです。


総社市の片岡市長との懇談について、いよいよこれからが本題です。
懇談のなかで、下記の件について私から片岡市長に対して直に聞きました。

なお始めにお断りしておきますが、これはあくまで1人のオヤジと、市長との懇談内容ですので、文責はすべて私にあると思い読んで下さい。
対話形式で記載していきます。

質問した内容
1.総社市の産業について
2.なぜ「障害者1000人雇用を掲げたのか?」
3.片岡市長と障害者との縁
4.総社市の発達障害の支援


1.総社市の産業について
私「総社市の主な産業は?私が町を見学させて頂いた限り、障害者を雇用できる特例子会社など、失礼とは思うが、この地での産業が乏しく感じた。町には大手チェーン店が目立ち独自の産業があまり分からなかった」
市長「大手自動車部品メーカーの工場が一番ですね。あとはそれに関連する町工場であり、中小・零細企業が殆どです。あとは農作物などです。

その通り、特例子会社やA型の就労施設はまだ確立されていることはない。ただ障害者1000人雇用を推進するなかで、市として「障がい者千人雇用センター」を設置して推進している。そこから、地域の企業に対して障害者の方々の民間企業に対して雇用を促している。」


2.なぜ「障害者1000人雇用を掲げたのか?」

私「片岡市長のコラムは拝見した。確かに、残りの障害者は?という発想は凄い転換であったが、その前の思いとして、何故、この総社市という場所において障害者の1000人雇用を掲げたのか?がとても興味があった。」
市長「キッカケは2009年。前年度の秋に起こった、リーマンショックがキッカケだった。あの金融危機で一番ダメージを受けたのが自動車産業だった。

総社市には先ほども伝えたとおり、大手自動車部品メーカーの工場があり、その工場もリーマンショックの影響を受けて、2000名の人員整理を余儀なくされてしまった。

その翌年の総社市の有効求人倍率はなんと0.29倍。かなりの低倍率になり、一般の人でも就職がとても困難になった。

ただそういう時だからこそ、障害者の人の雇用はどんどん遠のいてしまう。総社市という市全体で考えると、まずそういう就職が困難な人たちに対して、市が率先して仕事を調達して与える事が先決と判断した。

まずは市として、障害のある人たちを優先して仕事をして頂き、そしてチカラある人たちは、自分達でその困難に対して努力して乗り越えて頂く。そうした時に、結果的には市全体が底上げになると確信していたからだ」


私がこの片岡市長の言葉を自ら聞いた時、鈍器で頭を殴られたような感覚になりました。
普通であれば危機的な状態の場合、私の子どものような障害のある人は後回しになってしまうのが普通であり、それが当たり前と思っていた自分の常識をひっくり返されたような思いを感じました。
逆転の発想を、本当に危機的な状況で行い、市長が率先して職員が一丸となってできる(しなければならない)と思い、行動に移すその勢いと、常識では考えられない発想を聞いたときに凄い!という感覚を通り越して話を聞いていました。

続けて・・・


市長「まず市全体でそのように「町おこし」をしていく。逆に「障害者」だから何とかしてほしいという、一種の『甘え』にも似た感覚を捨てなければならない。でも、どうしても支援が必要とする人は市民のみんなで、そして行政や私たちが率先してそのような方々をお守りしなければならない。

ただし「障害者だから雇用する」という感覚では、いつまで経っても本当の溝は埋まらないと思う。

障がいのある方にも色々とご不便をお掛けすることにもなるが、小さな町だからこそ、障がいのある方も人材になって頂く必要がある。そうしないと本当の自立した町はつくっていけないと思う」


私「でも人口6万8千人という小さな町でよくやろうと思いましたね。また失礼ですが私の住む、さいたま市からみても産業も雇用創出の場も少ないところでその発想は本当に凄いなと・・・」

市長「小さな町だからこそできるこどあるんですよ。大都市になればなるほどなかなか難しい面もある。逆に総社市だから取り組めたのかもしれませんね」


残りの質問、3.片岡市長と障害者との縁と、4.総社市の発達障害の支援については次回のブログで・・・。