いまこの時だからこそ記しておきたいことがあった。

私と岡山県総社市長の片岡聡一市長との初対面の時のこと。
私は2014年8月6日の午後に初めて、片岡聡一市長と出逢い、1時間30分に渉り息子と同席のもと懇談させて頂いた。

その時の話はこのブログでも記載しているので改めてご一読願いたい。
https://ameblo.jp/masaking129/entry-11910414778.html

当時、障がい者を1000人雇用すると片岡市長が決断した時、たくさんの方が反対をされたということは何度も書いている。
当時の背景で言うと、リーマンショックの煽りを受けて、普通の求人数も総社市の有効求人倍率はなんと0.29倍という低倍率になっていた。一般の人でも就職がとても困難になった。

その中で障害者雇用を推し進めた決断をした内容が以下の言葉で市長が私に伝えてくれた。

「金子さん。もし金子さんがとある船の船長で、その船が沈没しかけているとしたら、金子さんは船長としてどう決断する?」と。
「正にその時は総社丸という船が不景気によって沈み掛けていたとき、船が沈みかけている時はお年寄りや身体の不自由な人から助けるよね?私はその船長として決断をしたのは、弱い立場と言われる人たちからの救出を考えた。それが雇用が冷え込んだときに考えた障がい者の方々の雇用だった」と。

「このままでは障害者の人の雇用はどんどん遠のいてしまう。総社市という市全体で考えると、まずそういう就職が困難な人たちに対して、市が率先して仕事を調達して与える事が先決と判断した。まずは市として、障害のある人たちを優先して仕事をして頂き、そしてチカラある人たちは、自分達でその困難に対して努力して乗り越えて頂く。そうした時に、結果的には市全体が底上げになると確信していたからだ」と。

これが先頭に立つ人の決断だと感じた。判断では無い決断である。
決断は正しいとは限らない、決断は間違っていてもそうでないとしても決断が必要な時がある。

今、国民1人1人が、モラルの上でも、社会的な立場でも決断を迫られているとき。
判断ではなく決断の時。
私は国からコロナウィルスによって、非常事態宣言が出されるこの時こそ、片岡聡一市長のこの決断を思いだして、行動していきたいと思っている。