※尾張アズーリFM無印本命チャンネルより。真ん中が筆者。
「ちびまる子ちゃん」のはまじのモデルになった浜崎憲孝さん(以下はまじ)が亡くなっていたことがわかった。
亡くなったのは春のようだがネットニュースになったのは一昨日だ。
僕が14時から生放送された尾張アズーリFMの無印本命チャンネルで訃報を伝えた直後にネットニュースになった。
僕が訃報を知ったのは、その2日前だったと思う。
2002年にはまじは自伝エッセイ『僕、はまじ』を自費出版した。あとがきと帯には僕、臼井正己も載っている(文庫版は未読だがおそらく文庫版からは僕の名前は消されていると思う)。
はまじが本を出すきっかけになったのが「公募ガイド」に載っていたぶんりき文庫の自費出版の広告だ。
「ぶんりき文庫続々増刷中!」のコピーと共にいち早く3刷りになった本として拙著『0から始める幸福論』が載っていた。
それを見たはまじが自費出版をしたいと原稿用紙に手書きで書いた原稿を送ったことからはまじの作家人生は始まったのだった。
何故、そんなことを知っているかと言うと、当時の僕ははまじの処女作を出版した出版社と親密な関係にあったからだ。はまじがサイン会をやる時には書店近辺でチラシ配りもした。
『僕、はまじ』は7万部のヒットとなったが出版社がさくらプロダクションを怒らせてしまい売れている最中に絶版となった。そのエピソードについては担当編集者の草下シンヤさんが『怒られの作法』で書いている。
その後、さくらももこさんの紹介ではまじは徳間書店から本を出した。
この本は、はまじが3年4組のクラスメートを訪ねる内容の本で、処女作の自伝エッセイに比べたら「ちびまる子ちゃん」ファンはより楽しめる本のはずだが、こちらは20000部刷って、それが完売しなかったようである。
2冊目が売れなかったことで、はまじには次の本のオファーはなく、彼はフリーターと無職を行ったり来たりしながら、電子書籍を出し、文章修行を続けていた。そして、2018年にさくらももこさんが亡くなった。
さくらさんの1周忌のNHKのニュースで「はまじのモデルになった男性がさくらさん追悼の展示会にさくらさんからもらった手紙などを提供し…」と言っているのを視聴してはまじの存在を思い出した。
そして、絶版になっている過去作2冊にさくらさんが亡くなったことへのはまじの思いを書いて出せば売れるのではないかと思い、出版社の社長に話をしたら出版の許可が出た。
許可は出たものの僕ははまじの連絡先を知らなかった……。
たまたまはまじはブログをしていたのでコメント欄に僕のメールアドレスと電話番号を書いて連絡を待った。
すぐにメールが届いた。
※実際のメール
「いまさら僕の本なんか出しても売れないよ」というはまじだったが何度も説得して2020年2月にはまじの第3作『はまじとさくらももこと三年四組』が出版された。
が、はまじの予測通り、この本はあまり売れなかった。
発売直後にコロナ時代が始まり、はまじがサイン会や出版記念イベントを開催することが難しくなったのも売れなかった原因の1つだろう。
リアルなイベントが無理ならYouTubeを使えば
いいのではと思い僕は子だくさんのカジサックとはまじを共演させようとした。
※Twitter(X)より。
カジサックからのOKが出て出版社を通じて事務所と交渉してもらったが、うまくいかなかったようだ。
はまじとの関わりはそれっきりだった。はまじはその後、処女作を文庫化して出版した。この本もそれほど話題にはなっていない。
今回、はまじが亡くなったことで改めてはまじが実在することが話題になっている。
もう、はまじと会うこともメールをすることもできないが彼の存在を語ることはできる。
個人的には青志社から出した『はまじとさくらももこと三年四組』はこれさえ読んでおけば他は読まなくてもいいと言えるくらいはまじ本の決定版だと思っているので、はまじに変わってこの本のPRに励みたいと思う。
※「令和の虎」の切り抜き動画より(現在は非公開)。
※こちらの第1話ではまじについて言及しています。